俄歩
高嶺を歩けなくなったいまでも 「自然と向き合える体力 自然を味わえる感性 自然に応えられる知力を大切にしたい」  という心根は持ち続けていたいものです
プロフィール

俄歩人 (がふと)

Author:俄歩人 (がふと)
高嶺は2013年9月の槍ヶ岳が
最後となりました。
いまは 季節の移ろいを想い出
の地に求めて彷徨しています。
年に一度、写真集「岳と花」を
記載。
(さいたま市 浦和 在住)



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室堂~五色が原~薬師岳~折立
「山行クロニクルNo.12」
 立山・室堂~薬師岳~折立・有峰 縦走     単独
‘07年 7月17日(火)~7月22日(日) 5泊6日
    
                                    (写真はクリックして拡大してください)
20070826171218.jpg 20070826171801.jpg 20071029151408.jpg
五色が原          薬師岳             越えてきた峰々


7・17(火)浦和=関越・上信越・北陸各自動車道(立山IC)=立山駅駐車場ー美女平ー室堂
       ~みくりが池温泉(泊)
  18(水)みくりが池温泉~一の越~龍王岳~鬼岳~獅子岳~ザラ峠~五色ヶ原山荘(泊)
  19(木)五色が原~鳶山~越中沢岳~スゴの頭~スゴ乗越小屋(泊)
  20(金)スゴ小屋~間山~北薬師岳~薬師岳~太郎兵衛平~太郎平小屋(泊)
  21(土)太郎平小屋~三角点~折立ー有峰口ー立山駅=小谷温泉(泊)
  22(日)小谷温泉=鬼無里街道=上信越自動車道(須坂・長野東IC)=関越道=浦和


7.17(火)第一日目
      浦和を早朝4時30分出発。関越、上信越、北陸の各自動車道を経由して富山地方鉄道
      立山駅駐車場に9時30分着。約420キロ、5時間走る。
      美女平へのケーブルカーの時間を確認、乗車までの待ち時間に簡単な昼食。

      美女平でバスに乗り換える頃には霧が立ち込め雨模様になり、視界が無くなる。
      ブナとスギの混交林は乳白色に包まれ幹周り940cmというスギの巨木は見られたものの
      称名滝は見えず。弥陀ヶ原の高原を抜け着いた雨の室堂ターミナルはエースとかトラピックスとか
      のワッペンを付けたツアー客でごった返していた。ハングルや台湾の言語が飛び交う。
      レインギアを身に着け早々にターミナルを飛び出し、みくりが池に向かう。

 まだ現役時代、大阪支社転勤で京都住いをしていた30代の半ば、京都市芸大の英文学の教授一家と
懇意になり家族ぐるみのお付き合いをしていたが、そのN氏一家と我が家族、
および共通の友人G氏一家(いずれも子供は2人)、併せて三家族12人でこの室堂・雷鳥荘に泊まり、
立山(雄山)に登ったことがあり、また東京に帰任してから妻と友人夫婦と4人で扇沢から
アルペンルートを利用してこの室堂に来たこともあった。

20070920093856.jpg 2007_0721薬師岳縦走0003
みくりが池          雄山方面
        
 みくりが池温泉小屋に宿泊手続きを済ませたのが午後1時過ぎ。早速、乳白色の硫黄泉にゆっくり
浸かり、過去の追憶や明日からの縦走に想いを馳せる。

 親友N氏、私より9歳も年長であったが、共にラグビーと山が好きなことなどお互いに気が合い、
彼の長男と我が家の長男・次男を毎日曜日京都ラグビースクールへ通わせたり、
京都近郊や滋賀の山々を二家族でよく歩いた。
今は亡きその彼が、黒部源流の盟主、薬師岳やその源流域はいいですよ といっていたことが
想い出される。

 温泉小屋は80人~90人の泊り客があったが、2段ベッドの8人部屋は私と同年代の男性相客一人。
彼は、関西電力が広報を兼ねて夏の一時期、抽選で何人かを招待してくれるのに当たったそうで、
黒部ダムから関電専用トロッコ遂道でけやき平まで行くのだと言っていた。


7.18(水)第二日目
2007_0721薬師岳縦走0006 2007_0721薬師岳縦走0008 2007_0721薬師岳縦走0010
地獄谷と龍王岳


 朝、6時30分、朝食を摂らずに予定のルートを歩き出す。晴天。
長丁場に備えて予備のズボンやシャツ、多目の食料を詰めたザックはいつもより重い18キロ。
残雪に埋もれた登山道を登り始め、立山(雄山)との分岐、一の越で小屋に入りきつねうどんをすする。

小屋番氏から問われて薬師岳へ向かうが、今日は五色が原までというと アイゼンとピッケルは
持っているか と確認が入る。アイゼンは持っているがピッケルまでは必要ないと思い、ストックだけである 
と答える。小屋番氏は少し困った顔で 鬼岳の残雪が例年になく多くまだ雪渓の整備が出来ていないので
県の山岳警備隊から出来るだけ単独の入山は避けるよう指導してくれ と言われており、
昨日もひとり、下山予定の折立から直接薬師岳へ向かうよう帰ってもらったところです と言う。
十分注意して行動しますからと計画表に記入して小屋を出る。

 雄山と相対峙する龍王岳(2872m)まで約200mの登り、頂上直下の肩には富山大学の気象観測所
(無人)があり、小休止。北側には、雄山、大汝山、富士の折立の3000m級の峰々が向かい合って聳え、
その奥につるぎの岩峰が屹立している。
小窓、三の窓、八つ峰の瞼などはっきり見える。
反対側の行く手には幾つかのピークの遥か遠くに今日の目的地、雪原を残した五色が原が・・・、
さらにその奥には薬師岳の大きな山塊が眺められた。全く素晴らしい。

2007_0721薬師岳縦走0013 2007_0721薬師岳縦走0014 2007_0721薬師岳縦走0011 2007_0721薬師岳縦走0012
龍王岳山頂より      剱岳             五色ヶ原を望む
        立山三山


 龍王岳を後に200mの降り、次のピーク 鬼岳(2750m)へ登り返す途中で単独行の若者に会う。
何だ 向こうから縦走してくる人もいるじゃないか。鬼岳の雪渓の状況を詳しく聞く。
やはりアイゼンは必要とのこと。幾分緊張しながら150mを登る。
頂上を東側にトラバースするところで長さ200m程の黒部湖側に傾斜した最初の雪渓。
アイゼンを着けストックで支点を確保しながら一歩一歩慎重に廻り込む。

20071029152025.jpg 鬼岳の雪渓


東面と南東面の2ヶ所の斜度のある雪渓をクリア。さらに獅子岳(2741m)へ向けての下降と登り、
雪はないがアップダウンがきつい。雲が幾分出てきたがまだ晴れているので、北アルプスの峰々、
そして翡翠色した黒部湖を眺めながら汗をかくのは気持ちが良い。獅子岳頂上、11時着。

2007_0721薬師岳縦走0016 2007_0721薬師岳縦走0015
鬼岳から黒部湖を眺む     龍王岳を振り返る

 太陽が隠れ、ガスが湧き始める。
これからザラ峠へ一気に400mの大降り、ハシゴあり、ザレ場あり、逆から来た人には結構きつそう。
日本海側(越中側・立山カルデラ側)が印象的な赤いザレた肌の斜面のザラ峠は写真を撮っている間に
ガスに包み込まれてしまった。

400年もの昔、越中と信州を結ぶ最短ルートとして使われていたこの峠を、厳冬期に越えた戦国武将 
佐々正成の伝説は浪漫を感じさせる。小休止。

20070920095135.jpg 2007_0721薬師岳縦走0020
ザラ峠

 みくりが池をスタートしてここまで休憩も含めて6時間、時刻は既に12時30分。
さらに小ピークを2つ越え、いささかへばり始めた頃、白い可憐な小花 ジムカデの密生地を過ぎ高原状の
一角に取り付き木道となった。いきなり赤い小さなトサカをつけた若い雷鳥のオスに出会い、
写真をパチリ。雨が降り出すも山荘まであと僅かと思いそのまま雨に打たれて花々に囲まれた木道を
速歩する。午後2時30分、五色が原山荘着。8時間の行程。

 若い男女4人で管理しているこの小屋の泊り客は本日、私ひとり。
夕食まで時間があるので五色が原を散策、チングルマ、ハクサンコザクラ、ハクサンイチゲなどの他、
クロユリの小群落を見つける。このクロユリはまだほとんどが蕾の状態で1~2週間後が見頃だろう。
広いテント場も無人。

2007_0721薬師岳縦走0025 20071029152811.jpg  20071029153015.jpg  20071029153202.jpg
ジムカデ          雷鳥              チングルマ          黒百合の蕾


 少し濡れた私のために親切にもドラム缶の風呂を沸かしてくれていた。
自家発電用オイルが300リットル入るドラム缶だが、昔のものとは大違いで鉄ではなく、
強化された塩化ビニールでコーティングされているようで縁が熱くもなく内側の肌触りもさほど悪くはない。
八分目ほど入っていた湯が細めの私でも出たときは半分に減っていた。
学生時代の山歩きで入って以来、40数年ぶりの五右衛門風呂だった。おまけに、夕食時には一緒に
どうですか と焼酎までサービスされた。多謝。

7.19(木)第三日目
 朝、6時15分、さいたま市ではないが私と同じ埼玉県から来ているアルバイトの女の子に小屋前で
写真を撮ってもらい、スゴ乗越小屋目指して勇躍出発。 本日は朝から曇天 時折晴れ間。
まずは結構雪が張り付いた鳶山(2616m)への登り。

2007_0721薬師岳縦走0030 鳶山

 ハイマツ帯の頂上からは行く手遠くに薬師岳の大きな山塊や赤牛岳、槍ヶ岳、黒岳(水晶岳)などが
望まれた。まだまだ先は遠い。緩い登り降りの後、シラビソ樹林の越中沢乗越を経て越中沢岳へ。
乗越でスゴ小屋方面から来た元気な学生8人組とすれ違う。
テント泊用の30~40キロはあるかと思われる大きなザックを担いで皆元気一杯。
みなぎる若さを感じた。

2007_0721薬師岳縦走0034 2007_0721薬師岳縦走0032 2007_0721薬師岳縦走0033 2007_0721薬師岳縦走0037
五色ヶ原を振り返る    遥かな薬師岳をズームで                黒部源流の嶺々


 10時、越中沢岳(2591m)頂上でインスタントラーメンの昼食を作る。大休止。
貧しい昼食を摂りながら、僅かでも視界のあるうちにと周囲の峰々を見廻しその秀麗な姿を写す。

 行く手左の近くに赤牛岳、その右奥に黒岳(水晶岳)、赤黒対照的な山肌だ。赤牛の裏には、烏帽子岳、
三つ岳、野口五郎岳など裏銀座ルートの山々。また残雪が光る雲の平の先には鷲羽岳、槍ヶ岳が・・・。
南の進行方向、薬師岳の稜線やピークは雲がかかって見えないが遠くでもその山容の大きさが
ズシリと感じられる。右手、日本海側は雲に隠れてまったく見えない。

2007_0721薬師岳縦走0039 越中沢岳 頂上

2007_0721薬師岳縦走0045 2007_0721薬師岳縦走0042 2007_0721薬師岳縦走0043
越えてきた嶺々      頂上からの展望      雲の平


 11時、越中沢岳からはいきなりの大降り始まる。ロープやクサリで補助されたいやな急勾配の
アップダウンがスゴの頭まで続く。頭を右に巻いてスゴ乗越に降る。
ガスが湧き、小雨が交じる。視界の無い不規則な樹林帯の登降を何度も繰り返し嫌になった頃、
笹を下払いしてくれた道に出てやっとスゴ乗越小屋に着いた。
時に午後3時。今日の後半はかなりへばった。視界の無い急な登降を繰り返すのは疲労が溜まる。
       
 樹林に囲まれた小屋の二階のベランダからは越えてきた越中沢岳とスゴの頭が指呼の間に見え、
越中沢岳の左肩奥に神社を載せた雄山の頂上が覗いている。

20071029153855.jpg 2007_0721薬師岳縦走0058
スゴ乗越小屋        越えてきた越中沢岳(左)と スゴの頭(右)

 色気のない小屋で小屋番は男手ばかり3人。この小屋は、薬師への縦走のサポートの為にだけ
設置されたようで小屋の周囲も開けておらず、またエスケープルートも無い為どちらに行っても下山
に2日は要する。そのため女性アルバイトに敬遠されているようだ。

この夜の泊り客も私を含めて単独行の男性ばかり3人、若い30代と思われる男性は私と逆行する行程で
薬師を越えてきて五色が原へ向かう途中、もう一人の50代後半と見える男性は薬師を越えてきて
また薬師岳方面へ戻るとか。明日一緒に歩くのはちょっと苦手なタイプだが、彼は朝食も摂らず早立ちの予定と聞きいささかホッとする。

 ビールを飲んでも疲労が回復せず、食欲が全くない。夕食の白米と天麩羅はまったく手が出せず、
副菜のおでんのみいただく。
とにかく寝ることに決め夜7時には就寝。

7.20(金)第四日目 くもり後雨
 身体の疲労は回復したが食欲は相変わらず無く、朝食も野菜を少し押し込んで後は自分で
コーヒーを沸かし、携帯した行動食のゼリーとスナックバーで済ます。

 6時15分、間山、北薬師、薬師岳を越え、太郎兵衛平までの長丁場に挑む。
北薬師岳までは標高差600mの登り。曇天ながら午前中はなんとか雨の落ちないことを祈る。

 間山(2585m)へはアイゼンを使うほどではないが、ステップを切りながら残雪の急斜面を攀じる。
まだ間山の頂上は僅に明るさが感じられるが向かう北薬師岳は既に雲の中だ。
間山の頂上の池塘の周囲は花盛りで美しい。風が出てガスが湧きはじめたので早めにレインギアを
身に着ける。

2007_0721薬師岳縦走0063 2007_0721薬師岳縦走0067
間山


 北薬師岳手前のピークで風雨強まり視界も30メートルくらいにおちた。岩尾根を目印のペンキを
頼りに一歩一歩前進、北薬師岳(2900m)頂上に10時30分着。
8メートルから10メートル前後の風に雨とガスが渦巻いている。

2007_0721薬師岳縦走0070 2007_0721薬師岳縦走0071
北薬師岳への雪渓     雨とガスの北薬師岳 頂上

 頂上の表示板に ここで風と雨の場合、薬師岳への稜線通過は困難と記してある。
ナヌっと思ったが、慎重に行動するよう自分に言い聞かせ足を踏み出す。
岩場の稜線は幅2~3メートル、常に右側(日本海側)からの風、
但し、日本海側は切り立った崖ではなく40度から50度程度の傾斜。

左側(黒部川側)はスパッと切れ堕ちた金作谷カール、 ガスの切れ目に時々ボヤーと見える白いもの、
おそらくカール底の雪は200メートル以上も下か。
左側に飛ばされないよう右側に身体を傾けて風に抵抗しながらゆっくり岩場を進む。
時々、フッと風が止まったり、その方向が変わる。これが怖い。
右肩を下げて風に逆らっているため急に風が止まるとザックの重みで右側に引き込まれそうになり、
ヒヤッとする。


 北薬師から薬師岳まで何回か稜線の右側(日本海側)に回り込む形で踏み跡が巻いているが、
このような地形の岩の間にイワウメの小群落が風と雨をまともに浴びながら健気に咲いている。
これは実に美しく見事だった。
写真に撮りたいが、私の技量ではこれほどの美しさは写し撮れないだろうと諦めた。

 標準時間で40分の薬師岳まで強風と叩きつける雨に抗しながら1時間をかけ通過。

20070920103140.jpg 2007_0721薬師岳縦走0073
薬師岳頂上         薬師如来の社

 薬師岳(2926m)頂上の薬師如来像に参拝、視界ほとんどゼロの頂上で小社の裏手に風雨を
避け、大休止。
北薬師岳、薬師岳では、本来絶景が期待できる筈であった。
 友人N氏の言によれば つるぎ、立山三山、後立山連峰、裏銀座の山々、槍・穂高、黒部五郎、
鷲羽岳など北アルプスの主稜線のほとんどの峰々が眺められ、北アルプス最西部の長大でドッシリした
威厳のある山稜を歩いた充実感が味わえる とのことだったが・・・。 至極残念。

 雹交じりの雨が激しくなる12時、名残惜しい山頂を後に降り始める。途中、昭和38年 厳冬、
愛知大学山岳部パーティー13名が遭難した東南稜を過ぎ、薬師岳山荘でカレーうどんを食べ、
薬師平・薬師峠を越え太郎兵衛平の太郎小屋に午後3時着。

 年代ものの靴の中は雨水でグチャグチャ、そろそろ新しいものに買い換えなくては冬には耐えられない。


 太郎平小屋は金曜日とあって、明日、薬師岳を往復する人、上ノ岳・黒部五郎岳のダイヤモンドコースを
巡る人、薬師沢から雲の平や秘境高天原へ入る人など50人ほどが居た。
 乾燥室に濡れた衣服や装備を吊るし、ホッと一息つく。後は、明日、折立へ降るだけとなり
ほぼ達成した縦走の満足感に浸り、生ビールでひとり乾杯。
相変わらず食欲無く、自炊室でカレースープを作り夕食はそれで済ました。
ちょっと暗い、いや、かなり暗い感じ。今後はどうしても喉を通らないお米の代わりにサンドイッチや
乾燥スープ類を持参することを考えた方が良さそうだ。


7.21(土)第五日目
 富山地方鉄道有峰口駅までの折立発10時30分のバスにあわせ、今日も降り続く雨の中、
6時30分、小屋を出る。
標準行程3時間の降りだが、週末の土曜日なので入山者が多いと思われ、降りは待たされるのを
覚悟して1時間余計に時間をとった。
      
 視界もあまり良くなく薬師岳も見えない、黒部五郎や鷲羽も 行く手の有峰湖の森さえも見えない。
そのため道々の花々に目がいく。一日花のニッコウキスゲが咲き始めている。
三年に一度花が咲くというコバイケイソウの今年は当たり年か? 随分と目立つ。

 三角点を過ぎ、黒部流域の名木 クロベ(別名ネズコ)が名前の通り黒々とした幹を雨に煙らせる
急な降りに入って大勢の入山者とすれ違う。
10人以上の中高年パーティが何組も登ってくる。
どうやら皆 ガイド付き、前後を挟まれてフウフウいって頑張っている。その都度、通過待ちを余儀なく
される。
それでも予定通り9時30分、折立登山口に降り立った。
のんびりバスの発車時間待ち。その間も陸続と入山してくる。天候不良でも週末を利用する登山者の
多いこと。

 折立からのバスは昔、やはりN氏家族と一緒にキャンプ生活を楽しんだ懐かしい有峰湖畔を巡りながら
降っていく。有峰口駅に着くと同時に立山駅方面行きの電車が入ってきて飛び乗る。
接続までの時間があれば、近くの酒屋が作っているという「みょうが寿司」を妻へのみやげにしたいと
思っていたが、買いに行く時間が取れなかった。

 立山駅前駐車場に戻り、中3日間の縦走中、停滞もあろうかと一日多く日程を組んでいたので、
明日の予約をしていた小谷温泉・山田旅館へ宿泊日の変更が可能かどうか確認。
了解を取り付け安心し、駅前のこじゃれたレストランで昼食を摂る。いつもながらの生ビール、ラーメン、
そしてコーヒー。
 12時30分、立山駅前駐車場を後に北陸道立山ICから親知らずを越え、
糸魚川ICで国道148号線を白馬方面へ南下、小谷温泉・大湯元 山田旅館に2時着。


 小谷(おたり)の湯はナトリウム炭酸水素塩泉(重曹泉)で、しかも鉄分を若干含み薄赤く濁って
いる。飲用すると少ししょっぱい。
明治26年、ドイツで開催された温泉博覧会に日本を代表する温泉「別府・登別・草津・小谷」として
4湯が選ばれ、出品されたという 由緒正しき湯である。
その当時の記念の額が、江戸期に建築され、現在 国の登録有形文化財に指定された本館の外壁
に掛かっている。
源泉の温度は48度、湯口からは汲み上げられた湯が滝のように流れ出て贅沢な掛け流し状態。
本当に気持ちが良い。その日は三度も入湯、山行の疲れを癒し、汗を流した。

20071029154157.jpg 2007_0721薬師岳縦走0083 小谷温泉 山田旅館

 部屋には、この小谷温泉 山田旅館の19代目当主、山田 寛氏の語りをエッセイストの
泉 久恵氏がまとめた「小谷温泉讃歌」という本が置かれていて興味をそそられ、
日本―オーストラリア戦のサッカー中継後、11時過ぎまで読み耽ってしまった。
      
 それによると小谷の湯が知られたのは武田信玄の家臣に発見された430年の昔からとのこと。
徳川時代、この地を管理していた小谷5人衆の一人が山田旅館の祖先。
この宿は 今月初めに登った火打山に続く頚城火山群の一角、雨飾山の登山基地で、登山家
の深田久弥、詩人の田中冬二、エッセイストの蜂谷緑などがよく利用していたようだ。


7.22(日)第六日目
 秘湯の会のスタンプを貰い、8時 宿を後に鬼無里街道を抜け長野市街を経て、須坂ICより
上信越道に入り午後1時浦和帰着。
往復の車の走行距離 880キロ。

 梅雨の最中とて、晴天の少ないのはちょっと残念であったが起点(室堂)も、終点(有峰湖)も
ともにN氏一家との思い出の地であり、彼の好きだった北アルプスの最深部の主稜線を
単独で歩き通したことに十分満足した山行であった。

2007_0721薬師岳縦走0012
                                     (写真はクリックして拡大してください)
     
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