俄歩
高嶺を歩けなくなったいまでも 「自然と向き合える体力 自然を味わえる感性 自然に応えられる知力を大切にしたい」  という心根は持ち続けていたいものです
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俄歩人 (がふと)

Author:俄歩人 (がふと)
高嶺は2013年9月の槍ヶ岳が
最後となりました。
いまは 季節の移ろいを想い出
の地に求めて彷徨しています。
年に一度、写真集「岳と花」を
記載。
(さいたま市 浦和 在住)



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檜枝岐温泉
 新潟・群馬・福島の三県が接する尾瀬、その福島県側南会津のはずれに
この方面の登山基地として 私がよく利用してきた僻村、檜枝岐村がある。

 公共交通機関未発達の若い頃は 尾瀬に入るには
群馬県側戸倉から 大清水か鳩待峠を経ての入山が便利で
会津側檜枝岐村からの御池や沼山峠越えは 多くの日数を要した。

 かってこの檜枝岐の温泉宿をベースに 残雪の会津駒ケ岳・帝釈山・田代山や
燧ケ岳を歩いていた頃、ザックを担いで街道を歩く身に
行き交う村人から「ようきらった」と声をかけられ、心温まる想いをしたものだった。


 雨模様のこの三連休中日の日曜日、
珍しく早立ちして この村の近況を尋ねてみた。
 妻と友人夫妻を案内して ここの湯宿から尾瀬ヶ原や尾瀬沼を歩いてからも
もう10年近く経っている。

 南会津側からこの村に入ると 誰しもが奇異に思うのは
街道のすぐ両側を占めるお墓であろう。
最初にこの村を訪れた時に宿で聞いたのは
 昔は村全体が大変貧しく お坊さんを養うことができず したがって一寺も無く
 墓所というものがないこと
 また 平坦地の少ない豪雪地のため 街道脇でないと墓参りも不可能だった
ということであった。

DSC00485.jpg 街道の左右に展開する墓

DSC00501.jpg DSC00502.jpg

 昔に比べ 真新しい立派な墓石が目立つが、
その墓碑銘は 今も変わらず 星・平野・橘 の三氏がほとんど。

DSC00488.jpg 六地蔵

 僻遠の地の唯一の娯楽として伝承され、約250年の伝統を誇る農村歌舞伎
「檜枝岐歌舞伎」も健在。

DSC00494.jpg

DSC00492.jpg DSC00491.jpg 鎮守の森の舞台と観覧席

DSC00490.jpg 5月と8月の年2回の公演だったのが、
                その人気故に9月も催行されるようになったようだ


DSC00499.jpg 集落を流れる檜枝岐川



 山裾では 早くも白いソバの花が雨に濡れていた。     DSC00504.jpg


2016。7.17 栃木・塩原温泉から 福島・檜枝岐温泉への ソバ街道を走る
(写真はクリックして拡大してください)






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この記事に対するコメント
茅葺
こんばんは
桧枝岐の宿はどちらでしたか?
私は2年に1回くらいのペースで桧枝岐村に行っております
よく使う宿は「ペンション翌檜」です
昭和49年頃に初めて訪れたとき、茅葺屋根の上にユリが咲いているのを
見た記憶がありますが、宿の主人に話すと
「そんな、はずは無い。そのころ桧枝岐にはそういう家は無かった」と言います
確かに見た記憶はあるのですが、夢幻の類か今となっては確かめようもありません
【2016/07/19 19:25】 URL | noyama #B7q/.fmY [ 編集]

Re.茅葺
 こんばんは noyamaさん
 私がこの僻村を最初に訪れたのは昭和39年だったと思います。
まだ湯宿も少なく かぎやさんとひのえまたさんしか覚えておりませんし、
会津駒から下山後、滝沢口から沼田街道を湯宿まで歩いても
自販機がひとつもなかったことが印象に残っています。
その後尾瀬へ入るときはいつも「旅館ひのえまた」を定宿にするように
なりました。
雰囲気のよさそうな「あすなろ」さんは次回利用させていただきます。

 最近は単独行も多く 精力的に歩いておられ、浅草岳も日光白根山も
懐かしさとともに楽しませていただいています。
コメントをありがとうございました。


【2016/07/19 20:42】 URL | 俄歩人 #t3k.yir2 [ 編集]


 こんばんは!
我歩人さんのご旅行は、いつもとても心休まるほっこりする旅ですね。
今でも通り沿いにお墓の並ぶ風景があるのですね?
田舎でもずっと昔のお墓は屋敷の畑の中にあり、身近で見守ってくれていました。

 農村歌舞伎も綿々と伝えられているのですね。
この歳になると、幼い頃各家を訪ねてくれた三番叟をよく思い出します。
御姫様のお面からさっと夜叉?の面に変わる時のドキドキ感は今でも
感じるほどです。

 田舎ゆえ、店も遠く日用品は天秤を担いで歩き、口上を述べながら披露して
くれていました。それがまた滑らかな口調で、心地いい響きとして今も耳元を
くすぐるようです。
姉と「あの口上、テープにとっておきたかったね」と懐かしく話しています。
古き良き時代のもの、この先もずっと残って欲しいものですね。
なかなかコメントが書けず遅くなってしまいました。
【2016/07/25 21:36】 URL | キレンゲショウマ #- [ 編集]

Re.三番叟
 いただいたメッセージから自然以外の文化・風俗的にも素晴らしい
故郷をお持ちなのがよく解りました。
日用品を振り分けの天秤で独特の口上とともに売り歩くなんて
まさに絵になりそうですし、各戸を訪れて舞を演じてくれる そんな懐かしい
時代がありましたね。
 
 街中育ちの私でも 夏の風物、金魚やつりしのぶ・風鈴のほか
豆腐・納豆・玄米パン、さらにはラオ屋、鋳掛屋、竿竹屋などの売り声が
耳に残っています。

 山仕事以外にたつきを得る手段のなかったこの檜枝岐村、
いまでも宿の食事は 裁ちソバと山菜、根菜、きのこと川魚の山人(やもーど)
料理が主役。
 高嶺への登攀が苦しくなった昨今、まだ自然の残るエリアに
昔日の面影を尋ねることが多くなりました。
コメントをありがとうございました。
【2016/07/26 12:43】 URL | 俄歩人 #t3k.yir2 [ 編集]


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