俄歩
高嶺を歩けなくなったいまでも 「自然と向き合える体力 自然を味わえる感性 自然に応えられる知力を大切にしたい」  という心根は持ち続けていたいものです
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俄歩人 (がふと)

Author:俄歩人 (がふと)
高嶺は2013年9月の槍ヶ岳が
最後となりました。
いまは 季節の移ろいを想い出
の地に求めて彷徨しています。
年に一度、写真集「岳と花」を
記載。
(さいたま市 浦和 在住)



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鳳凰三山(薬師岳・観音岳・地蔵岳)
 一週間前から小雪がちらつき始めたという山小屋情報、しかも出発前夜、尾根道に雪が積もったと
聞き、砂糖菓子のように周りを氷に縁取られた紅葉を写したいといっぱしのカメラマン気取りで日曜日、
午前11時過ぎ、我が家を後にした。

鳳凰三山、W.ウエストンの「The playground of the Far East」の中に、地蔵岳のオベリスクの初登頂、
また 尾瀬の父と呼ばれる武田久吉氏の明治の山旅に、シャジン(沙参、キキョウ科のツリガネニンジンの
漢名)の原種を求めて薬師岳や観音岳に登頂した記述があるが、明治・大正・昭和の初期に、
あまたの峰々に登り、素晴らしい山岳紀行文を残されている木暮理太郎氏、田部重治氏その後の
畦地梅太郎氏、上田哲農氏、串田孫一氏なども、この鳳凰三山については登高の記述が目につかない。

対峙する白峰三山(北岳・間の岳・農鳥岳)や個性的な甲斐駒ケ岳、仙丈岳に囲まれ、
あまり登頂意欲が喚起されない山なのであろうか?。
 比較的高山植物の少ないこの山はいまでは紅葉や雪の頃によく歩かれているようである。
私にとっては 寡って学生時代に一度登るべく計画したが、時ならぬ台風の襲来で見送り、その後、
北岳や仙丈岳に登った時もただ眺めるだけ。
今年も9月に甲斐駒ケ岳への道々眺め、何時かは登ってみようと思っていた山である。
計画から40数年振り、こういうのを久恋の山というのかも知れない。

 登るなら趣のある湯宿 青木鉱泉からと決めていた。
薬師岳・観音岳・地蔵岳の鳳凰三山は、奈良時代から平安初期にかけて修験者により開山され、
地元では奈良法皇(孝謙女帝)が登ったことにより、山名も法皇山と名づけられ、後に仏教の霊鳥で
ある鳳凰に因んで鳳凰山と呼ばれるようになった としている。
女性の登山によって広く山名が知られるようになった山というのは珍しい。

                                      (写真はクリックして拡大してください)
DSCF1634.jpg DSCF1626.jpg DSCF1650.jpg
薬師岳           観音岳            地蔵岳


「山行クロニクルNo.16」   鳳凰三山        3泊4日   単独

10.21(日) 浦和=中央道=青木鉱泉(泊)
   22(月) 鉱泉~中道~薬師岳~薬師小屋(泊)
   23(火) 小屋~薬師岳~観音岳~アカヌケ沢の頭~地蔵岳~ドンドコ沢~青木鉱泉(泊)
   24(水) 鉱泉=浦和

10.21(日)第一日目
 昔ながらの湯宿を髣髴とさせる鄙びてはいるが格調のある宿、青木鉱泉、 午後2時着。
DSCF1615.jpg 青木鉱泉

 宿からは 中道を直接薬師岳へ登る道とドンドコ沢を登り地蔵岳へ至る道のニ路があるが、
いずれも登り一辺倒で6時間余りの行程。
中道から薬師岳へ登り、薬師小屋泊。翌日、再び薬師岳そして観音岳、アカヌケ沢の頭、地蔵岳を
歩き鳳凰小屋からドンドコ沢を降り青木鉱泉へ周遊するルートに決める。

 3時過ぎから日曜日とて下山者で賑わい始めた宿の周辺を散策、沢グルミ、ドングリ、ヤマグリなど
の実を拾い集め、孫娘への山みやげとする。山ぶどうはてっぺんの方にわずかな小さな房、ほとんど
収穫されてしまったようだ。

下山者の入浴客多く、湯に入ったのは夕食後。ひとりのんびり沸かし湯(弱酸性泉)をたのしむ。
開湯時(延暦年間)は、現在よりももっと高所にあったといわれる青木の湯、現在の場所は
明治14年からだそうで、三代目の方が管理されていた。

10.22(月)第二日目
 晴天。いよいよ1140mの鉱泉から2780mの薬師岳頂上まで、標高差1600m強の登り一辺倒
に挑む。沢を渡り林道を歩くこと40分、中道ルートの登山口 7時着。深い混交林の中、電光形の
急登を登りはじめる。
 延々3時間、やっとシラカバ林の少し拓けた小ピークで簡単な昼食を作り、大休止。
ここまでただただ只管眺望の利かない樹林を喘いだ。

DSCF1621.jpg DSCF1618.jpg
                中道より地蔵岳を仰ぐ

 標高2000m、樹相はカラマツ林を過ぎシラビソなどが多くなっている。まだこの先700m以上の
標高差を稼がなければならない。かなりハードだ。
ここまで身軽な装備の健脚者二人に先を譲る。腹ごしらえをし覚悟を決めて再び急登に挑む。
高度2700mで視界が拓けやっと薬師岳頂上の岩塊が望まれた。
頂上(2780m)着 2時。度々の休憩も含め7時間の登り。

 秋の陽ははやくも西に傾いていたが、白砂と岩塊の頂上からは 南東に冠雪の富士、
西には指呼の間に聳える北岳をはじめとする白峰三山、さらに塩見岳や荒川岳。
皆 頂は既に雪に覆われていた。北に仙丈岳、八ヶ岳遠くには木曾の御嶽山が眺められた。
 
 吹き渡る風が冷たい。明日歩く予定の観音岳への稜線が美しく、期待値が膨らむ。
地蔵岳やその奥の甲斐駒ケ岳は間近の観音岳に隠れて見えない。

DSCF1623.jpg DSCF1638.jpg DSCF1624.jpg 
富士山            白峰三山          逆光の北岳バットレス

 すっかり冷え切った身で薬師小屋へ 宿泊手続きをし小屋の前でビールを楽しむ。
夕食時、自炊組みも含めて宿泊者は25人ぐらい。夜叉神峠からの入山者が多かった。
隣人は40歳前後、同じ中道ルートで私をすいすい追い抜いていった健脚者。日帰り登山が中心で
小屋泊まりの山行は今度が初めてとのこと。いろいろ山名を挙げどうですか と聞かれた。
夜は氷点下 4度C。

10.23(火)第三日目
 晴れ。薄日がこぼれているが結構雲が多い。6時30分、薬師岳へ登り返し、前日逆光だった
白峰三山を写す。この薬師岳から観音岳、アカヌケ沢の頭、そして地蔵岳への稜線歩きが
この山のハイライトだ。

 晩秋の柔らかい陽を一身に浴びながら花崗岩の白砂、緑のハイマツそして風に撓んだ低木の
カラマツの黄葉の間を 雪に覆われた北岳のバットレスを左に眺めながら気分良く歩く。
三山の最高峰 観音岳(2840m)までは雪は解けている。観音岳頂上、間近に地蔵岳の
オベリスクが聳え、甲斐駒ケ岳が白い三角錘を見せる。

DSCF1654.jpg DSCF1661.jpg DSCF1645.jpg
稜線のカラマツ      甲斐駒ケ岳         観音岳 頂上

 ここからアカヌケ沢の頭(2750m)までの北面の尾根は雪が凍って降りが辛い。かといって
アイゼンをつけるほどでもなくこの中途半端が怖い。アカヌケ沢の頭で三角点を探すが見つからない。

DSCF1652.jpg DSCF1650.jpg
観音岳から地蔵岳への稜線         地蔵岳

 高嶺・早川尾根への道を分けて地蔵岳直下 賽の河原へ降る。
40体前後の石の子授け地蔵が安置されている。
今は少ないようだが昭和初期までこの地蔵を一体借りて下山、枕元に置いておくと子が授かると
言われ、実現したらニ体にしてここに返す ということが行われていたそうだ。

DSCF1658.jpg DSCF1659.jpg DSCF1662.jpg
賽の河原の地蔵群    地蔵と甲斐駒       地蔵岳オベリスク

 地蔵のオベリスク近くまで登るが、その先の巨岩にはザイルを使わないととても無理。
ザレ場の急下降をしばし、鳳凰小屋 9時45分着。約3時間の尾根歩きは景色も良く大変楽しかった。
昼食を作ることにし大休止。

DSCF1663.jpg 鳳凰小屋の紅葉

 食後、出発間際に昨夜の隣人が到着。10時30分、ドンドコ沢の長時間の降りに入る。
今度は ただただひたすら樹林の中の降りに汗をかく。
50分ほど降ると沢の音が大きくなり五色の滝、さらに30分ほどで白糸の滝。登りの中道と異なり、
この沢沿いの降りは滝の変化があってちょっと気が紛れる。

DSCF1667.jpg DSCF1668.jpg DSCF1670.jpg
五色の滝          白糸の滝          ドンドコ沢

 さらに降って鳳凰の滝をパス、次の南精進の滝で休んでいるとまた昨夜の隣人が追いついてきた。
しばし歓談。この後、樹林の中を一緒に歩く途中の沢でとうもろこしのような形態の赤い不気味な
花実をつけたマムシグサを写真に撮る。一本だけ伸びた赤い実をつけた茎がマムシの背の模様に
そっくり。

 やっと降り終わり鉱泉着 3時。地蔵岳から5時間 降りっぱなし。そのまま車で帰る彼と別れ
ゆっくり入湯。汗を流し疲れを癒す。
夕食までビールと日本酒。懇意になった四代目を目指す鉱泉の若主人から木工細工を孫の土産に
頂いたり、たまたま泊まり合わせた八ヶ岳 黒百合ヒュッテ(15年前妻と泊まった)の若い小屋番氏
と話が弾んだ。これから一冬の小屋番に備えて休暇を楽しんでいるとのことだった。

DSCF1673.jpg マユミ

 夕食後再びゆっくり湯を楽しみ 8時床に就く。
6帖の一人部屋で障子を開け 窓から十三夜の月を眺めこの山行を振り返った。
こうこうと輝く月を見ていると 昭和の初期、まだ交通網の未発達の時代 この月明かりを頼りに
登山口まで夜通し峠を越えた先達たちの紀行文が思い出される。
とりわけ串田孫一氏や川崎精雄氏などは月明かりの夜道の一人歩きを楽しまれたようだ。
寝付かれぬまま山歩きのあれこれを考える。
 
 山歩きは他のスポーツとは異なり、人が作ったルールに合わせることなく自然が与えてくれた条件、
状況に従っている。いわば自然のルールに従う。それ故、山に向かうとき 山を歩くときは出来る限り
原始的な感覚を大切にしたい。その方が自然との一体感に浸れると思う。

 普段使いすぎて擦り切れた都会人の感覚が山に這入ることによって研ぎ澄まされ、美しさへの
傾斜の度合いとか心の充足とかだけでなく危険をも事前に膚で察知することができるようになるのだろう。
単独行はその最たるものだろう。一人だからこそ感じられる貴重な自然との対峙、単独行は登山者が
自覚すべき自己責任と常に向き合っている ということがよいのではなかろうか。

 あらためて「自然と向き合える体力 自然を味わえる感性 自然に応えれる知力 を大切にしたい」
と考える。

10.24(水)第四日目
 泊まり合わせた登山者のひとり 同世代の人にバス便がないので市街地まで便乗させてくれと
頼まれ、JR韮崎駅まで送り 12時浦和帰着。

 やっぱり 一人がよろしい 雑草
   やっぱり 一人はさみしい 枯草     (種田 山頭火)

                                        (写真はクリックして拡大してください)

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テーマ:登山 - ジャンル:スポーツ


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