俄歩
高嶺を歩けなくなったいまでも 「自然と向き合える体力 自然を味わえる感性 自然に応えられる知力を大切にしたい」  という心根は持ち続けていたいものです
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俄歩人 (がふと)

Author:俄歩人 (がふと)
高嶺は2013年9月の槍ヶ岳が
最後となりました。
いまは 季節の移ろいを想い出
の地に求めて彷徨しています。
年に一度、写真集「岳と花」を
記載。
(さいたま市 浦和 在住)



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九十九里海岸
 関東地方の梅雨明けが報じられた早朝、
太平洋の荒波が打ち寄せる犬吠埼近くの旭市飯岡・刑部岬へ向かった。
海のない埼玉県・浦和からは150km。
 日本のドーバーとも呼称される屏風ヶ浦の高台から 飯岡漁港と
ハマグリ漁をする漁船を眺め、
漁港から続く海岸歩道を歩き、屏風ヶ浦の白い懸崖を仰ぐ。

DSC00505.jpg DSC00507.jpg
屏風ヶ浦高台から 飯岡漁港と砂浜近くで弧を描く蛤漁の漁船

DSC00508.jpg DSC00510.jpg DSC00511.jpg 屏風ヶ浦の懸崖


 ハマグリの生息に適した遠浅の海岸故、
海水は砂交じりで青くはないが これが上総の国 九十九里の海である。

DSC00512.jpg DSC00513.jpg 九十九里浜


 漁協で船採りの8~10cmほどある大ハマグリを土産に買い求め、
サーファー天国の九十九里浜を南下する。
 戦時中、半年ほど親戚に疎開した 地引網漁で知られた片貝や白子の海岸は
夏休みに入り子供連れの海水浴客で賑わっていた。
 九十九里の浜も内陸部の畑も いまはすっかり様変わりしていたが、
シコイワシ(カタクチイワシ)とシジミ・ハマグリ・ナガラミなどの貝類、
シロウリの漬物、マクワウリ、乾燥イモなど、幼児の舌で覚えた味はいまも残っている。

DSC00515.jpg DSC00516.jpg 船採りのハマグリ



 夏山シーズンなのに 高嶺は遠くなった。
(2016.7.28 砂浜を歩く   写真はクリックして拡大してください)




 








檜枝岐温泉
 新潟・群馬・福島の三県が接する尾瀬、その福島県側南会津のはずれに
この方面の登山基地として 私がよく利用してきた僻村、檜枝岐村がある。

 公共交通機関未発達の若い頃は 尾瀬に入るには
群馬県側戸倉から 大清水か鳩待峠を経ての入山が便利で
会津側檜枝岐村からの御池や沼山峠越えは 多くの日数を要した。

 かってこの檜枝岐の温泉宿をベースに 残雪の会津駒ケ岳・帝釈山・田代山や
燧ケ岳を歩いていた頃、ザックを担いで街道を歩く身に
行き交う村人から「ようきらった」と声をかけられ、心温まる想いをしたものだった。


 雨模様のこの三連休中日の日曜日、
珍しく早立ちして この村の近況を尋ねてみた。
 妻と友人夫妻を案内して ここの湯宿から尾瀬ヶ原や尾瀬沼を歩いてからも
もう10年近く経っている。

 南会津側からこの村に入ると 誰しもが奇異に思うのは
街道のすぐ両側を占めるお墓であろう。
最初にこの村を訪れた時に宿で聞いたのは
 昔は村全体が大変貧しく お坊さんを養うことができず したがって一寺も無く
 墓所というものがないこと
 また 平坦地の少ない豪雪地のため 街道脇でないと墓参りも不可能だった
ということであった。

DSC00485.jpg 街道の左右に展開する墓

DSC00501.jpg DSC00502.jpg

 昔に比べ 真新しい立派な墓石が目立つが、
その墓碑銘は 今も変わらず 星・平野・橘 の三氏がほとんど。

DSC00488.jpg 六地蔵

 僻遠の地の唯一の娯楽として伝承され、約250年の伝統を誇る農村歌舞伎
「檜枝岐歌舞伎」も健在。

DSC00494.jpg

DSC00492.jpg DSC00491.jpg 鎮守の森の舞台と観覧席

DSC00490.jpg 5月と8月の年2回の公演だったのが、
                その人気故に9月も催行されるようになったようだ


DSC00499.jpg 集落を流れる檜枝岐川



 山裾では 早くも白いソバの花が雨に濡れていた。     DSC00504.jpg


2016。7.17 栃木・塩原温泉から 福島・檜枝岐温泉への ソバ街道を走る
(写真はクリックして拡大してください)