俄歩
高嶺を歩けなくなったいまでも 「自然と向き合える体力 自然を味わえる感性 自然に応えられる知力を大切にしたい」  という心根は持ち続けていたいものです
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俄歩人 (がふと)

Author:俄歩人 (がふと)
高嶺は2013年9月の槍ヶ岳が
最後となりました。
いまは 季節の移ろいを想い出
の地に求めて彷徨しています。
年に一度、写真集「岳と花」を
記載。
(さいたま市 浦和 在住)



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雪に想う
 今年になって北日本から西日本まで日本海側での大雪が報じられ、
日々雪と闘う生活が映像で流れている。
比較的暖かな東京近郊の我が家周辺でも二度ほど積雪があった。珍しいことである。

P1030435.jpg 浦和の淡雪

 私達世代では 子供(昭和20年代)の頃、東京の雪は少しも珍しいことではなく
まちなかの雪遊びの思い出も多い。
当時の主な科学者は地球はゆるやかに寒冷期に向かっていると解説していたものである。

 1月の大雪というと 降って昭和38年(1963年)、北アルプス薬師岳の愛大生13人の遭難に
はじまり、本州の日本海側だけでなく九州各県でも史上に残る積雪を記録、
のちに「三八豪雪」と名付けられた大雪を思いだす。
東京オリンピックの前年とて まだカラーテレビは普及しておらず、我が家も白黒テレビ、
モノクロ画面で見る雪の猛威に圧倒されたものだった。

 「雪は天から送られた手紙である」(中谷宇吉郎博士)に共感を持った温暖の地の都会育ちが
初めて雪の本当の姿、荘厳なまでの美しさや魔物のような恐ろしさを教えてもらったのが
冬山であった。
昔と異なり いまはお金を費やせば装備は完璧なのに 体力が伴わなくなってしまった現実。
この季節になると雪の想い出を辿る夜が続く。

DSC01246 (2) 我家の雪の精
             (孫娘Meiのバレエ発表会にて)

 もう6年も前になる。
術後の静養と一抹の不安への対処のために、雪上車に揺られ雪に埋もれた秋田・玉川温泉で
4日ほど北投石頼みの岩盤浴で過ごした。
 熱燗を傾けながらのひとり夜食。
突然、関西弁で「元気出してや」という女性の声とともに小さな二粒、
ピンクと緑の紙に包まれたハート型のミニチョコレートがテーブルに載った。
バレンタインデーがこんな雪深い山奥にもあった。
問えば、既に医術から見放され 隔月毎にここに湯治に来ているという。
達観した明るさが眩しかった。

 つい先日、この玉川温泉岩盤浴で 三人の湯治客が表層雪崩に埋もれ亡くなられた。
雪の季節はいろいろなことを想い出させる。

2006_0216ジジ退職party0015 2006_0216ジジ退職party0021 雪の玉川温泉・岩盤浴
(写真はクリックして拡大して下さい)