俄歩
高嶺を歩けなくなったいまでも 「自然と向き合える体力 自然を味わえる感性 自然に応えられる知力を大切にしたい」  という心根は持ち続けていたいものです
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俄歩人 (がふと)

Author:俄歩人 (がふと)
高嶺は2013年9月の槍ヶ岳が
最後となりました。
いまは 季節の移ろいを想い出
の地に求めて彷徨しています。
年に一度、写真集「岳と花」を
記載。
(さいたま市 浦和 在住)



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試行
P1030065.jpg 大源太山 (越後湯沢 旭原付近から)  (写真はクリックして拡大して下さい)

 紅葉の進捗具合は如何、と谷川連嶺の北のはずれ 新潟県湯沢町に位置する
大源太山(だいげんたさん 1598m)を訪れた。
上越のマッターホルンといわれる鋭鋒。
遥かな昔、清水峠から眺めた錦秋に染まるこの尖峰は美しかった。

 一か月ほど歩いていないので日帰りで足慣らしをと、湯沢町大源太キャニオンキャンプ場
の奥、旭原登山口から 北沢を渡渉して直登する道を選んだ。

’11.9.27(火) 晴天
 10台ほど駐車可能な旭原登山口、既に新潟や千葉No、2台が駐車。
浦和を出るときは篠つく雨に煙っていたが 三国峠以北は晴天、久し振りの残暑が厳しそう。

P1030032.jpg 8時過ぎ、沢に沿って登山道に分け入る。

 最初の徒渉は 架かっている筈の丸木橋が流され、張り渡されたロープに補助されて渡る。

P1030034.jpg

 シシゴヤノ頭を経て蓬ヒュッテへ向かう「謙信ゆかりの道」を右に分け
さらに北沢を遡る。
ブナの大木とカエデが美しい渓畔林が続く。紅葉にはほど遠い まだ緑の森であった。

P1030039.jpg P1030040.jpg

 再び補助ロープが張られた渡渉点を過ぎ、急登にかかる。

P1030042.jpg P1030062.jpg P1030043.jpg P1030044.jpg
地図上の渡渉点

 弥助尾根と大源太山を繋ぐ痩せ尾根の稜線へのこの直登、
ジグが切って無くほぼまっすぐに登る。
トラロープがずっと垂れ下っているが 登りにはあまり必要は無い。
 この直登路、雨水の流路となっているようで 石は苔が付着、木々の根はむき出し、
石のないところは赤土 とすべてがよく滑る。
下山時に経験するが この補助ロープ、まさしく下山者用であった。

 私の鈍足では休み休み2時間弱の直登をこなし、陽射しの熱い尾根に出て
大源太山の頂を仰ぐ。
この尾根からは 七つ小屋山側から見るあの鋭いマッターホルンと呼称されるような姿
ではなかった。
それでも頂に至る登山道はかなり急登のようだ。

P1030055.jpg 尾根から山頂を仰ぐ

 赤い実のナナカマドの日陰で大休止。

P1030057.jpg P1030061.jpg 陽光溢れる尾根

P1030051.jpg P1030054.jpg P1030053.jpg
七つ小屋山         武能岳           万太郎山方面

 たおやかな七つ小屋山とシシゴヤノ頭の間に、武能岳から蓬峠へ降る笹原の切開けが見える。
三年ほど前の盛夏に 谷川の両耳から一の倉岳、茂倉岳、武能岳を越えて蓬ヒュッテまで
歩いたことが想い出される。(’08年8月 山行クロニクル真夏の谷川連嶺)

 パンとコーヒーでしばらく展望を楽しみ、山頂まで登るかどうか思案していると
銀マットをくくりつけた装備で 私よりは少し若いと思われるご夫妻が到着。
清水峠の白崩避難小屋泊りとのこと。

 先に送り出し、頂への急登に取り付くご夫妻の銀マットが 陽射しにキラキラ輝き
動くさまをずっと眺めていた。
クサリ場にかかると二つの銀マットがついたり離れたり、お二人の労わり合いが
手にとるように見てとれる。

P1030058.jpg 山頂に至る右肩 二つの銀マットが光る

 約1時間、私の代わりのように山頂に立った姿に拍手を送り、下山にかかった。
雨天時は補助ロープがなかったら、流れる水とともに尻もちの連続となりそうな下降路。
沢で涼をとり 3時前には登山口へ戻った。

 この先、私の山歩きはどうなるんだろうと考えさせられた一日であった。

P1030063.jpg                     (写真はクリックして拡大して下さい)




















峠道(続き)
P1030017.jpg P1030010.jpg 
旧野麦街道         野麦峠 女工哀史の碑      (写真はクリックして拡大して下さい)

 徳本峠から降り中の湯で体調を整えた翌日、信州松本と木曽福島・飛騨高山を
結ぶ旧街道・野麦街道へ出て、かの女工哀史「あゝ野麦峠」(山本茂実著)で
知られた野麦峠へ立ち寄った。

 昔、奥飛騨各村の若き女性達が現金収入を求め、信州の糸紡ぎに出稼ぎに通った野麦街道、
給金を持ち故郷へ帰る彼女達が あゝ飛騨が見えると喜んだその峠には
女工哀史の碑と海抜1672mの日本一標高の高い一等水準点が設置されていた。

P1030020.jpg 一等水準点

 保存されている旧道の杣道を少し歩き、資料館で 往時の工女達を描いた
沖野 清氏の一連の作品を鑑賞した。
峠の歴史と風土、その役割が語りかけてくる絵であった。

P1030015.jpg 雪の峠で休む工女達

 クマザサで覆われた野麦峠は静かで爽やかな秋風が吹き抜けていた。
「野麦」とは飛騨ではこの「クマザサの実」のことをいうようだ。

P1030022.jpg 初秋の峠               (写真はクリックして拡大して下さい)









いにしえの峠道
P1020953.jpg P1020975.jpg P1020970.jpg
徳本峠            霞沢岳           穂高岳     (写真はクリックして拡大してください)

 その昔、「たわ」「たを」「たをり」「たむけ」などと呼称された峠、
働きに出るために越えた道、商いの荷を運んだ道、巡礼が難渋して越えた道、いずれにしても
日常の生活圏外へ越える必要のあった人の意思によって踏み固められた道である。

 古来から峠は人の往き交う道、文化や異なった習俗を伝えた道であって
何となく知的な文化の匂いが漂う。
今年も1月厳冬に 北八ヶ岳、雪の中山峠を歩いたほど高嶺の鞍部にある峠好きの私であるが、
峰々を歩くうち、過去、印象に残った峠が幾つかある。
残雪の針の木峠(北アルプス)、新緑の十文字峠(奥秩父)、夏の乙見山峠(頚城山塊)、
秋の舟鼻峠(奥会津)などなど・・・。

 山に登るという行為をとうして理解される文化は結構多岐に亘っているが、
とりわけ「峠の成り立ち」や「頂にまつわる信仰」には 想いを深くするものがある。
今回訪れた「徳本峠」(とくごうとうげ 2135m)もそのひとつである。

 昭和8年、上高地に通ずる釜トンネルが開通する以前、W.ウエストン、小島烏水を
はじめ近代アルピニズム醸成の象徴ともいえる槍・穂高へのアプローチとして、
幾多の先達が越えたこの峠道。
信州安曇村島々宿から島々谷に入り、南沢を経て徳本峠まで16キロ強、さらに峠から
上高地明神まで3キロ強、上高地入山まで約20キロの道程である。


 今夏、体調がいまひとつの私は 16.2キロ標準CT7時間30分の島々宿からの入山は
自信が無く、逆コース、上高地バスターミナルから明神岳を背負って6.8キロ、標準CT
3時間20分の徳本峠へ向かった。
前泊した定宿、坂巻温泉からシャトルバスで上高地へ、宿の女将さんによれば
10日ぶりの晴れ間とか。
                           坂巻温泉前の梓川に架かる旧道 P1020932.jpg


「山行クロニクル No.71」 徳本峠 (霞沢岳撤退)  単独
’11.8.28(日) 坂巻温泉(前泊)
    8.29(月) 坂巻温泉=上高地B.T~明神~徳本峠~徳本小屋(泊)
    8.30(火) 小屋~ジャンクションピーク~霞沢岳K1ピーク手前で撤退
            ~徳本峠~明神~上高地B.T=中の湯温泉(泊)

P1020934.jpg P1020936.jpg P1020938.jpg
朝の河童橋         梓川と岳沢         清水川

 河童橋から梓川左岸、槍や穂高の往き帰りに通いなれた道を 散策するハイカーや
観光客に交じって明神へ。
明神の先、白沢出合・徳本峠入口から キツリフネの咲き乱れる峠道へ分け入る。
観光客の居ない静かな登山道を坦々と辿る。
白沢と別れ、黒沢沿いの山道はセンジュガンピが楚々として小さな白花を開いていた。

峠道 点描
P1020939.jpg P1020942.jpg P1020945.jpg

P1020947.jpg P1020952.jpg
明神岳を背負う      最後の水場

 小さな沢を二度ほど徒渉して最後の水場で一服。大滝山(2614m)と霞沢岳(2645m)の
鞍部、徳本峠(2135m)へ。
島々谷から入山し 長駆この峠に立って、初めて眼前に穂高の岩峰を眺めた古の人々は
皆、一応に感激したことであろう。まさにそう想う。

P1020955.jpg P1020959.jpg 徳本小屋

 徳本の小屋、昨年、新しく増築されたが、手前の昔からの部分は、このほど
登録有形文化財になったという。
たまたまこの夕方は 弦楽器ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者 品川 聖氏のソロ・コンサートが
ひらかれ、食前のひとときを楽しく過ごした。
                                           品川 氏 P1020962.jpg

 この夜の小屋泊りは約20人、古道島々谷を登ってきた方はその半数、
食事・休憩を含め9時間近くを要した と語る。
途中の岩魚留小屋付近の風情が先達の山行記を彷彿とさせ胸を熱くした とのこと。

 翌日は上高地からの人も含めほとんどが霞沢岳へ。
大滝山から蝶ヶ岳を目指す方は一人もいなかった。

P1020965.jpg P1020964.jpg
峠から早朝の穂高岳   ジャンダルム・ロバの耳、奥穂、明神、前穂(右)をズーム

 徳本峠からでも霞沢岳は往復約9キロ、休みなしで7時間30分のロングコース。
私はあまり体調に自信が無く、歩けるところまでと決め、6時、最後に小屋を出る。

 混交林の急登を電光型に攀じり、ジャンクションピーク手前のスタジオジャンクションと
名付けられた展望所で休止。
朝の澄みきった大気の中、左の西穂~奥穂~前穂の穂高岳の岩峰を楽しむ。
この岩壁に遮られ、北穂や槍ヶ岳は見えない。
よく訪れた涸沢からの風景とはまったく異なる姿を満喫する。
かって歩いたそれぞれのピークへの岩稜を想い出しながら一服、
満ち足りたひとときを味わった。

P1020970_20110901162918.jpg ジャンダルムから~右端の前穂のピーク

P1020971.jpg 前穂とその北尾根

P1020973.jpg P1020974.jpg ジャンクションピーク

 島々谷を覗くジャンクションピーク(2428m)で朝食を自炊。
この先、ともかくも霞沢岳を眺められるところまでと決め、針葉樹林下のぬかるみを辿る。
最初の突起、K1ピークの手前で 霞沢岳を眺め、9時過ぎには踵を返した。

P1020975_20110901164139.jpg P1020977.jpg P1020976.jpg
霞沢岳         霞沢岳(左)とK1ピーク(右)  乗鞍岳

 霞沢岳山頂には届かなかったが、穂高の岩肌や乗鞍岳の眺望を楽しみ小屋に戻った。
下山道で出遭った秋の実り
P1020978.jpg P1020981.jpg P1020983.jpg P1020994.jpg

 小屋前で寛いでいると、この歴史ある旧道の整備に7人が チェーンソーこそ持たなかったが
ナタやクワを担って上高地側から登ってきた。
これから島々まで16キロを歩いて点検・補修する という。
リーダーの方としばし歓談。
その昔、この道を島々宿から牛を追いながら 上高地宮川や徳澤の放牧場まで峠越えをした時代の
聞き語りを楽しく伺う。

P1020993.jpg P1020986.jpg 峠のダケカンバと眼下の梓川上流

 午後、峠を降り 安房峠旧道の中の湯温泉に宿をとる。
まだ若かりし頃、釜トンネル入口の対岸高台にこの宿があった時代に泊ったことはあるが
安房峠旧道中腹に移転してからは初めての泊り。
立派になった湯宿に吃驚した。

P1030002.jpg P1030004.jpg 中の湯温泉
                                単純硫黄泉 秘湯の会 会員の湯


 近代アルピニズムの先駆けとなった方々の山行記に語られた徳本峠、
釜トンネル開通後も あえてこの古道を好んで歩いた記録に親しんでいた私にとって
一度はこの峠に立ってみたい という想いがかなった山旅であった。
                                    (写真はクリックして拡大してください)