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俄歩
高嶺を歩けなくなったいまでも 「自然と向き合える体力 自然を味わえる感性 自然に応えられる知力を大切にしたい」  という心根は持ち続けていたいものです
プロフィール

俄歩人 (がふと)

Author:俄歩人 (がふと)
雪山は2011年1月、
高嶺は2013年9月の槍ヶ岳が
最後となりました。
いまは 季節の移ろいを想い出
の地に求めて彷徨しています。
年に一度、写真集「岳と花」を
記載。
(さいたま市 浦和 在住)



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糸魚川 笹倉温泉
DSC02579.jpg (写真はクリックして拡大してください)

 まだ マイカーで長野・栂池自然園まで登れた頃、栂池ヒュッテから天狗原~白馬大池~白馬岳
~大雪渓~猿倉を 妻と歩いたことがあった。
下山後、好きな糸魚川街道を姫川沿いに糸魚川の日本海まで辿り、
妙高・火打・焼山などの頚城山塊の麓、笹倉温泉でのんびり海と山の幸を堪能した。

 さいたま浦和からは 片道400キロと少し遠いが 再びこの湯を尋ねてみた。
女性の好きな肌にすべすべの炭酸ナトリウム泉の掛け流し、源泉62度、
一部循環はしているが それでも昔と同様 やさしい湯に変わりはなかった。

DSC02577.jpg DSC02584.jpg

DSC02581.jpg DSC02578.jpg DSC02579_202206111100382f6.jpg

 梅雨空の小雨のなか 孫娘への土産として 日本海のベニズワイガニ、信州のさくらんぼ
等を選んだ。

DSC02586.jpg 小雨に煙る日本海


(2022.6.9~10  妻と日本海の幸を求めて 往復800キロ)


飯坂の熱い湯と松川浦
 福島県の北部、中道りの古湯 飯坂温泉の熱湯に泊まり、浜通りの相馬地区
松川浦の名勝を尋ねた。
 
 私の学生時代は 安達太良山塊にしても 吾妻連峰に行くにも
東京から福島駅まで夜行列車の旅であった。
飯坂、高湯、土湯、野地、岳などの湯宿は 下山後の楽しみのひとつだった。

 湯の街 飯坂は昔の装いと香りを残してはいたが、 かっての賑わいは
消えていた。

DSC02564.jpg  DSC02565.jpg(写真はクリックして拡大してください) 
 源泉掛け流し 42~44度の熱い湯

 翌日は 浜通りの松川浦へ 美味しい魚を食べに・・・。
今年3月の地震で被害を受け、鵜の尾岬や大洲海岸など名勝地は復旧中であった。

DSC02568.jpg  DSC02571.jpg 松川浦

 帰途は 10年を経ていまだ帰宅困難地区を抱える浜通りを南下、
浪江、湯本、水戸を経て 常磐道で帰宅。

(2022.5.20~5.21 妻と熱湯を尋ねる)
 


「うどんすき」
                               
DSC02561.jpg 取り寄せた大阪美々卯の「うどんすき」セット (写真はクリックして拡大してください)

 若き30代のはじめ、まだ小学校低学年だった子供たちも含め妻と4人、
京都・洛西の桂離宮や西芳寺に近い大枝の里で 4年間生活したことがあった。
東京生まれ、東京育ちの私にとって 関西とりわけ古式ゆかしい詩情とはんなりとした
文化の香る京都の日々は 私達夫婦の心情を豊かにしてくれたものだった。

 特に舌で覚えた京大阪の味は いまでも継続して求めて止むことがない。
京都では はれまの「ちりめん山椒」、村上重の「千枚漬け」、鞍馬の「木の芽煮」等を
大阪船場錦戸の「松のは昆布」、美々卯の「うどんすき」、神戸三ノ宮の・・・~など
枚挙にいとまがない。
 その多くは ネットで購入しなくても 日本橋の老舗デパートで入手できるのはありがたい。
家族でよく利用していた美々卯東京店(銀座・京橋)が 一昨年末撤収してしまい
大阪から取り寄せるしか入手方法が無くなってしまった。
写真はうどん好きの孫娘の喜ぶ顔を見たさに取り寄せた「うどんすき」のセット。


散歩道の春
 花雲り 花冷えの午後、
私のかっての散歩道:見沼代用水堤の桜を眺めに 妻と訪れた。
灰色の曇天下 満開のソメイヨシノの桜色、土手には青紫のムスカリと
黄色のタンポポ。
 まさにやわらかなパステルカラーの世界がひろがっていた。

DSC02549.jpg DSC02551.jpg
                    (写真はクリックして拡大してください)

            
              DSC02554.jpg DSC02553.jpg
               ムスカリとタンポポ


DSC02557.jpg 夕餉には 妻が土手で摘んだ土筆が並んだ。


 春の山菜、秋の茸料理と言えば 私がリンクさせていただいている
ブログ友人「旅する凡人 散歩記2 (author noyamaさん)に紹介してもらった
守門岳登山口:大白川村の民宿を 一度は訪づれたいと季節が巡ってくると想うのだが・・・


2022.3.30 散歩道


 この用水路の桜並木に一本だけ うす緑色の桜「御衣黄」がある。
染井吉野の桜吹雪の後 約1カ月後に咲く。

DSC02332_2022033113202329a.jpg 昨年4月の御衣黄

 
 
純和風建築の湯宿
 今年も東北の秋は足早に過ぎてゆく。
                名残の楓を求めて 福島の会津へ・・・。  
                                    (写真はクリックして拡大してください)

 この夏、傘寿を迎えた妻の祝いを兼ねて 小旅をと考えていたが、
相変わらず小生の体調思わしくなく 結果としてこの季節の近場となってしまった。

会津若松 鶴ヶ城近くの古湯、東山温泉は昔と変わらず 静かな風情を保っていた。

DSC02537.jpg 湯宿

DSC02523.jpg DSC02525.jpg 近くの武家屋敷の紅葉

湯宿の中庭

DSC02534.jpg DSC02533.jpg DSC02535.jpg


源泉掛け流しの湯もまた 少しも変わらず今日も静かに溢れていた。

DSC02531.jpg DSC02529.jpg さるの湯(42度)

DSC02530.jpg きつね湯(44度)


 翌日は 南会津へくだり 買い物と新蕎麦を愉しみ、会津西街道を塩原温泉方面へ
抜け、帰宅。

DSC02538.jpg DSC02540.jpg 南会津 下郷近くの車窓




(2021.11.12-13 妻と静かな湯を楽しむ)







岩峰への想い
2006_101606奥穂高・涸沢岳0037 涸沢岳から北穂~槍ヶ岳への稜線(写真はクリックして拡大してください)

 槍ヶ岳、谷川岳と相次いだ遭難の報に 雪の稜線に想いを馳せて
いたところ、北の友から 「こうして自宅に籠ってばかりいると
やはり山の歌はいいものだと思う」と 久しぶりに声の便りが届いた。
昨今は 「穂高よ さらば」(芹洋子)をよく聴いている とのこと。

 学生時代は 「いつかある日」、その後 子育てが一段落した頃からは
「坊がつる讃歌」が 私は好きだった。
妻が教えてくれた芹洋子の「穂高よさらば」の歌詞
   穂高よさらば   また来る日まで
   奥穂にはゆる   あかね雲
   かえり見すれば  遠ざかる
   まぶたに残る   ジャンダルム

   滝谷さらば     また来る日まで
   北穂へつづく    雪の道
   かえり見すれば  遠ざかる
   まぶたに残る    槍ヶ岳      (以下 略)
                          (作詞 芳野満彦 作曲 古関裕而)

 まさに私もよく歩いた 上高地~涸沢~奥穂高岳~涸沢岳~北穂高岳を
思い出す歌詞である。
この拙ブログ「俄歩」の初期に記載した奥穂と北穂の写真を中心に振り返ってみた。
2006年10月 「涸沢の紅葉 と 初雪の奥穂高岳」
2008年9月  「北穂高岳」 から

 還暦を過ぎてからの私の山行は いつも温泉宿を入・下山時の駐車基地として
いたので、上高地からの入山では 釜トンネル手前の「坂巻温泉」が定宿であった。
P1010285_202105071459331be.jpg (写真はクリックして拡大してください)
 同様に涸沢カールでは「涸沢ヒュッテ」ではなく 「涸沢小屋」が定宿。
P1010305_20210507150523d1b.jpg 涸沢小屋
 小屋のテラスから仰ぐ星空も朝焼けも美しかった。白出しのコルの穂高岳山荘とは
また異なった楽しさに満ちていた。

2006_101606奥穂高・涸沢岳0081 2006_101606奥穂高・涸沢岳0023
涸沢カールの紅葉と初雪 モルゲンロートに染まる奥穂

2006_101606奥穂高・涸沢岳0025 2006_101606奥穂高・涸沢岳0027 2006_101606奥穂高・涸沢岳0026
前穂・奥穂間の吊り尾根  涸沢岳と涸沢槍   北穂を仰ぐ



 この涸沢から 穂高の稜線白出しのコルへは 雪の無い季節はいつも
ザイテングラート(支尾根)を登った。
飛騨側の新保高温泉から 白出沢の急登を詰める体力は もう当時の私には無かった。

2006_101606奥穂高・涸沢岳0030 ザイテングラートを詰める



 奥穂山頂(3190m)からは 360度の視界。
北は  すぐ稜線続きで槍ヶ岳、その奥に鷲羽岳や黒部五郎岳など、
東に大天井岳・常念岳・蝶が岳、西に笠ヶ岳 そして南に乗鞍岳。
指呼の間の岩峰群と遙かに臨む名山の稜線を飽かず楽しみ、想いをあらたにする。

2006_101606奥穂高・涸沢岳0041 2006_101606奥穂高・涸沢岳0039 2006_101606奥穂高・涸沢岳0037 2006_101606奥穂高・涸沢岳0049
ジャンダルムの威容    槍ヶ岳                          遠く白山に沈む夕陽


 また 涸沢岳から北穂 大キレットを経て槍ヶ岳への厳しい稜線が続く。

2006_101606奥穂高・涸沢岳0060 涸沢岳山頂

2006_101606奥穂高・涸沢岳0069 P1010345_20210507155618aa8.jpg P1010341_2021050716003446b.jpg
涸沢岳~北穂高岳   北穂高岳~槍ヶ岳   北穂山頂のブロッケン現象                     


P1010317_20210507160355963.jpg P1010328_202105071604397f9.jpg P1010365_202105071605335bd.jpg 
                  キレット         滝谷を覗く


 ひとり山歩きをしていると 山小屋のテラスで暮れゆく色と空気の変化の中に
思い浮かぶ顔がある。
若い頃共に歩いた友であったり、妻であったり  また山とはまったく係わりのない飲み仲間
であったり・・・様々で、単独行であるが故に 頭のなかは賑やかである。
この山行でもそうであった。

 いまは 「山を想えば人恋し  人を想えば山恋し」(百瀬慎太朗) の日々である。

(2021.5.5 北の友からの声を聴いて・・・)



北アルプス行の過去記事
2007年 7月  室堂~五色が原~越中沢岳~薬師岳~折立
       9月  鹿島槍ヶ岳~爺が岳~赤沢岳~針の木岳
      10月  燕岳~大天井岳~蝶が岳
2008年 9月  双六岳~三俣蓮華岳~鷲羽岳
      10月 北穂高岳
      12月 涸沢の紅葉と奥穂高岳
2009年 8月  唐松岳
2010年 8月  室堂~劔沢雪渓~仙人池~水平歩道(阿曽原)~欅平
2011年 9月 上高地徳本峠
2012年10月  西穂独標
2013年 9月 三度目の槍ヶ岳
2014年 8月 孫娘と室堂平へ
    山行レポは「月別アーカイブ欄の該当月」」をクリックしてください。

 







馬頭温泉
 二年前の同じ3月末、春休みの孫娘を連れて
春の妖精たちを求めて 南栃木・那珂川畔の温泉を訪れたことがあったが、
今年もまた その馬頭温泉の元湯へ向かった。 (写真はクリックして拡大してください)

DSC01955_20210330105139ff1.jpg DSC01964_20210330105251f08.jpg 那珂川町周辺の イワウチワとカタクリ の群落(2019年3月)

 生憎の豪雨のため 春を求めての散策は車窓からの桜や白木蓮にとどめて湯宿へ直行。
孫娘の体質に合ったツルツル ヌルヌルの湯浴み三昧、
最近 全国に普及しつつある温泉養殖のとらふぐのてっさやてっちりに舌鼓を打つ。

DSC02512.jpg DSC02510.jpg DSC02514.jpg
増水した那珂川    正面に日光男体山         那須連嶺

DSC02507.jpg DSC02508.jpg 源泉46.8度  アルカリ性単純泉



 晴れ上がった翌日は 喜連川温泉の桜堤で栃木県内に入った聖火リレー見物の人々を
遠目に眺め、道の駅に寄り 近くの「大谷石採石場」跡を見物し 帰途についた。

DSC02516.jpg DSC01169_2021033011194634f.jpg  大谷石採石場



(2021.3.28~29  妻と孫娘を連れて)
 私達じじばばにいつも優しい孫娘も この春で高校2年生。
13年ほど前に この孫娘(芽依)への想いから綴りはじめた拙ブログも
終わりが近くなった。













西山温泉
 DSC02482.jpg        DSC02489.jpg
南アルプス街道沿いの小集落      早川の流れ (写真はクリックして拡大してください)

 白銀の蝙蝠の如く 中空に浮かぶ真っ白な南アルプス白根三山(北岳・
間の岳・農鳥岳)を眺めながら、中央自動車道双葉JCを経て
富士川、早川沿いに南アルプス街道を奈良田まで遡上した。

 かって山歩きを楽しんでいた頃は 芦安から広河原に入り白根三山を縦走、
大門沢を奈良田温泉へと降ったものだった。
この奈良田の湯は アトピー性皮膚疾患によく効くということで
妻や孫娘を連れて良く泊まったが、今回は同じ早川町の西山温泉に
宿をとった。


DSC02498.jpg DSC02497.jpg DSC02485.jpg

DSC02494.jpg DSC02493.jpg

 源泉掛け流しの風呂自慢の宿とあって 各種の趣の異なる湯槽があった。
源泉温度45度、女性好みの優しい泉質で 妻は何度も楽しんでいた。

 二日目は 朝から豪雨。
七面山、身延山久遠寺、下部温泉などかって訪れた地を眺め語り合いながら
帰途についた。



(2021.2.14~15 湯を楽しむ)





晩秋の清津峡
DSC02473.jpg DSC02475.jpg DSC02470.jpg 
                               (写真はクリックして拡大してください)

 北国の秋は足早に去って逝く。
このご時勢下、人の少ない静かな湯宿を・・・と、群馬と新潟の県境、
清津峡温泉を予約していた。

DSC02459.jpg DSC02460.jpg DSC02461.jpg 宿の前の清津川

 清津峡は松之山温泉や秋山郷への入り口で いつもは素通りしていたが、
今回は近場でゆっくりと考えていたのだが・・・。
出かける三日前、ちょっとしたことで 妻が左足首を捻挫。
結果として、 日本三大峡谷のひとつとして知られた渓谷美を散策することも
かなわず、また 温泉で温めてはいけない足首を保護するために
アクロバティックな湯浴みを強いられたようだ。

DSC02472.jpg DSC02463.jpg DSC02465.jpg
                 源泉48度  単純硫黄泉  源泉掛け流し

 旅の二日間とも氷雨。
谷川連嶺上部は 既に雪に覆われ、旧道三国街道は吹雪だった。

DSC02474.jpg


(2020.11.10~11  清津峡温泉にて)

この山域の過去記事       月別アーカイブ

 真夏の谷川連嶺          2008年8月
 秋山郷と苗場山           2008年7月
 平標山                2015年6月














伊豆西海岸
DSC02457.jpg DSC02449.jpg   (写真はクリックして拡大してください)

 のんびり湯に浸かり 美味しい魚を食べよう・・・と、
友人Yu氏夫妻と私達夫婦4人で伊豆西海岸へ向かった。
台風接近に刺激された秋雨前線による雨の二日間であったが、
旅の目的には充分であった。

 宿は半島の西海岸、松崎より南の 三浦(さんぽ)温泉(岩地・下部・雲見)の
ひとつ、雲見温泉。
昭和40年代に湯が掘削された小さな漁村である。
 3年前、伊豆半島に3つある一等三角点の峰のひとつ 暗沢山に登った折も
泊まった温泉地。(過去記事「暗沢山と伊豆西海岸」2017年6月の月別アーカイブ
を参照してください)
 この折は 夏前で海水浴客を迎える準備で活気のあった漁村も
昨今の事情のもと 秋を迎へ静かな佇まいを見せていた。

DSC02454.jpg 雨中の雲見海岸

DSC01077_202010101301477b7.jpg DSC01074_202010101302536b3.jpg 3年前の初夏の雲見海岸

 途中の修善寺で 今年2月の「天城の湯」に一家集合した折も立ち寄った
蕎麦屋(なま桜海老のかき揚げと細切りそばが名物)で昼食。

DSC02446.jpg 修善寺のそば屋

雲見温泉
 日本秘湯を守る会の会員であるが、小さな湯宿ゆえに静かでゆったりとした
雰囲気のなか、源泉56度のナトリウム・カルシウム塩化物泉の湯に浸る。

DSC02448.jpg DSC02449_20201010131831f39.jpg DSC02451.jpg

 アワビ、イセエビ、アカハタ、アジなどの刺身、カサゴ、サザエなどの焼き物など
自前で漁をする湯宿の新鮮な魚介に舌鼓を打つ。

 翌日は 安良里・松崎・堂ヶ島・土肥・戸田と伊豆半島西海岸を北上しながら買い物三昧。
雨中の旅とはいえ 友人夫妻と懇親、それなりに充実した二日間であった。

DSC02455.jpg DSC02457_20201010133026a95.jpg DSC02458.jpg
松崎港         堂ヶ島海岸           戸田港


この山域の山の過去記事     掲載の月別アーカイブ
   天城山               2014年1月
   暗沢山               2017年6月


(2020.10.8~9 西伊豆へ)