俄歩
「山に登ること」 は、与えられた条件の中で新しい経験を積むことに 他ならない。 だから、  自然と向き合える体力  自然を味わえる感性  自然に応えられる知力  を大切にしたい。
プロフィール

Author:俄歩人 (がふと)
 学生時代に歩いた山、歩きそびれた山をひとり
静かにたのしんでいます。



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北八ヶ岳逍遥
 しばらく絶巓から遠ざかっていたのでこの梅雨時に相応しい山稜をと考え、あの苔の美しい樹林と
雨に煙る池を逍遥しに北八つへ出かけた。
昨年のこの時期は ツクモグサを見るため南八ヶ岳:硫黄岳・横岳・赤岳(「山行クロニクルNo.10」)
を歩いたが、今年は北横岳から神奈備の山として崇められている蓼科山へ向かう。

 天気予報は勿論雨。 雨・雨・・・
雨の北八つは岩塊と森林と苔によって埋め尽くされた静かな佇まい、誰しもが想いうかべるのは
朽ちた倒木、湿った土そしてなんとも言いようの無いあの苔の色と匂いであろう。
トウヒ、シラビソ、ツガの薄暗い針葉樹林が重なり合ってずうっと限りなく続く中、厚い苔が木の根は
もとより岩をも覆いつくし、一種独特の幽遠な景観を形作っている。
新芽のカラマツ林も静かなことだろう。 再び、その雰囲気を味わうことが今度の山行目的。

P1000963.jpg P1000916.jpg P1000959.jpg
針葉樹林          凹地の池          湿った苔   (写真はクリックして拡大して下さい)

「山行クロニクルNo.20」 北横岳 ・ 蓼科山       単独
6.21(土) 浦和〜中央道諏訪IC〜ヴィーナスライン・ピラタスロープウエイ山麓駅〜山頂駅・坪庭
        〜北横岳〜亀甲池〜天祥寺原〜将軍平〜蓼科山頂ヒュッテ(泊)
6.22(日) 山頂〜将軍平〜前掛山分岐〜大河原峠〜双子山〜双子池〜雨池峠〜八丁平〜
        ロープウエイ山頂駅〜唐沢鉱泉(泊)
6.23(月) 鉱泉〜麦草峠〜白駒池〜麦草峠〜中央道諏訪IC〜浦和

6.21(土) 早朝4時、浦和を出発。7時30分 小雨に煙るダズマ平 ロープウエイ山麓駅に着く。
8時20分 始発のゴンドラは土曜日というのに乗客は2人のみ。
標高差470mを僅か7分で稼ぐ。北横岳の中腹は芽吹いた新緑のカラマツ林が雨に磨かれて美しい。

 ひとり山に這入る誰しもが感じる昂揚とちょっぴりの憂鬱さを抱いて山頂駅・坪庭から北横岳への
道を辿る。沛然と驟雨が来る中、名残のミネズオウと盛りのコイワカガミが迎えてくれる。
 
P1000903.jpg P1000906.jpg
ミネズオウ          コイワカガミ

 登路の樹林はメボソやミソサザイの明るい囀り、時折、身近のウグイス 遠くにカッコウの声が混じる。
誰も居ない北横岳ヒュッテの前を通り七つ池に降る道を分け、北横岳山頂(2472m)へ。
天気が良ければ指呼の間の三ッ岳、大岳さらに南の八ヶ岳主脈が一連の連なりとして眺められる筈
であるが、霧と雨。風も無く視界も無し。タカネザクラが小さな花を濡らしていた。

P1000910.jpg P1000908.jpg
北横岳山頂         タカネザクラ

 小休止の後、北面の標高差500mの一気の大降り。思いのほか残雪が多く、踏み抜きと凍結面
の滑りに注意を払いながら真っ黒な森を亀甲池まで降る。
山の凹地に出来た天然の水溜りのような池。11時過ぎ。雨が少し途切れゆっくりと昼食を楽しむ。
今日の弁当は妻の手作り稲荷寿し。ここまで一人の声も聞かず姿も見ない。
ボヤーと1時間の大休止。この池の周囲は北八つといっても白駒池周辺のような苔の美しさは少ない。
むしろ笹原がのさばっている。
                                   P1000915.jpg 亀甲池
                                        
 双子池への道を分け、天祥寺原を目指す。
夕日の丘を左に巻く原への道は熊笹に覆われ、近頃は歩く人が少ないのか切り明けも塞がりかけていた。
天祥寺原から蓼科山頂直下の将軍平への沢道を登る。苔むしたゴロゴロ石が不規則に重なり合う
歩きにくい沢。ほとんど踏み跡が見られない。
二度ほど滑り脛と肘を打つ。憮然として転んだまま一服。30分ほどで沢から離れホッとする。
標準時間1時間20分と表示された500mの標高差を2時間かけて将軍平に着いた。もう16キロ近い
ザックは私には無理なのかも知れない と一抹の寂しさを感じる。

 この十字路、山荘前の広場にも誰も居ない。前夜の睡眠不足もあってか結構な疲れを感じ、小休止。
弾みをつけ、急坂のゴロ太石の階段状の重なりを山頂目指し、這い蹲るように喘ぎ攀じる。
諏訪富士と古称される岩塊の山頂(2530m) 4時着。

 山頂ヒュッテ、小屋主氏に迎えられ装備を解く。
土曜日にもかかわらず本日2人目の客とか。天気予報が雨々と言うと 最近は誰も登って来ないん
ですよ と淋しそう。
2〜3日前、妻の友人 Suさんに戴いた小屋の優待割引券を出しそびれてしまった。もっと繁盛している
小屋で使わせてもらうこととする。
同宿者は岩手県盛岡市近郊から新幹線と特急を乗り継いできたという50代後半と思われる男性。
百名山ハンターらしい。地震被災後一週間なのに 「大人の休日パスなので予定通り来ました。
でもあの揺れは初めての体験でした・・・」と話してくれた。

6.22(日) 小雨。360度の眺望が売り物の山頂はガスに包まれ視界無し。
一瞬のガスの切れ目に南八ヶ岳の連山が黒く覗く。

P1000918.jpg P1000921.jpg P1000922.jpg
雲海             南八ヶ岳           山頂 

 7時過ぎ、山頂を後に将軍平へ降る。 
後から降りてきた昨夜の同宿者 御泉水へ降るという彼と別れ、大河原峠へ向かう。また 一人になった。
前掛山分岐から峠への道は ここ2〜3日の雨で長靴を履いて歩きたいような流水と水溜りの登山道。
立ち枯れた木や倒木も多く、森が途切れる小さな湿地や草原にカタバミやミツバオウレンの小さな白花
が目立つ。
 前方が拓け、笹が多くなった頃、単独行の若者二人とすれ違う。これから蓼科山に登るという。
雨なのに大河原峠は展望が良く明るさを感じさせる広場だ。
売店もヒュッテも誰も居らず準備中の札。

小休止の後、双子山を経て双子池へ廻る道へ分け入る。
しばらくは気持ちの良い笹原を登る。急に雨脚が強くなり小樹林を抜けて2223mの山頂へ。
だだっ広い頂は雨中とはいえ いかにものほほんとした雰囲気をもっている。
雨に打たれたまま一服。
P1000928.jpg 双子山 山頂

 ホーロク平の草原を経てシラビソやツガの幽林に這入る。
降って熊笹の下生えが多くなり、カラマツの新芽が美しく明るさを感じさせる頃、双子池ヒュッテに着いた。
雨の為昼食を自炊するのも億劫になり、小屋に立ち寄る。
老夫婦に 何か食事はできますか と尋ねるが、今はカップラーメンならあるが という返事。
老人は 土曜日なのに昨夜はひとりも来なかった、はやく梅雨が空けて欲しい とこれまた淋しそうに語る。
晴れていれば新緑のカラマツ林が水面に映えて美しい雄池、雌池のそれぞれも雨に煙ってしまっている。

P1000932.jpg P1000933.jpg 
雄池             カラマツ林

 カップラーメンの昼食を済まし、御礼を言い、大岳への急登を避けて 佐久側の裾野を切り拓いた林道
を雨池へと辿る。
雨に濡れた地布類のサルオガセを羽衣のように纏ったカラマツがとりわけ感興をそそる。
                                    P1000940.jpg サルオガセ 

 一人として出会うことの無い静かな林道を1時間、雨池峠への分岐で急坂を峠に向けて攀じる。
沢筋の為 時折、流水が顔にまで刎ねかかる。コイワカガミ、ミツバオウレンなどの花が慰めてくれる。
P1000947.jpg ミツバオウレン

 またしても誰も居ない雨池峠で小休止。草原の八丁平を過ぎり坪庭の木道を歩いてロープウエイ
山頂駅へ。やはり登山者も観光客もゼロ。
私一人の客のための午後2時の便で山麓に降り立った。
 北八つの樹林と池はたっぷりと味わったが、林床の苔はいまひとつ。
今夜の宿 唐沢鉱泉へ車を走らせながら、明日は 晴れていれば天狗岳を登りニュウを経て白駒池へ、
雨であれば直接麦草峠から白駒池へ 苔を見に行こうと決めた。

 この夜の泊り客は 登山者は私ひとり、他に東京から蓼科高原に遊びに来た男女5人組の計6人。
女将の話では ここ一両日 湯の白濁が著しいという。
源泉9度の冷泉の沸かし湯であるが、のんびり浸かり足と肩の疲れを癒した。
 ビールを楽しみながら雨に鮮やかな緑を眺め、雨音を聴いているとなんとも言えない満ち足りた気分
になってくる。部屋からダケカンバの木々の間に垣間見える小池は、白濁した中に雨で増水した
薄茶色の沢水が流れ込み、ロールケーキの様な渦巻き模様を作りベージュ色に染め上げられていく。

P1000952.jpg P1000950.jpg
鉱泉宿の小池       鉱泉の湯

6.23(月) やはり雨。
 麦草峠まで走り、白駒池周辺の苔を見に行く。
トウヒ、シラビソ、ツガの樹林を歩き 池を眺め 苔を味わう。もう一ヶ月もすれば林床の苔の蒼さが
際立つようになるだろう。
20年近く前、妻と歩いた時の7月の苔は素晴らしかったことを想い出す。

P1000959.jpg P1000956.jpg P1000955.jpg
林床の苔                          白駒池

 再び、麦草峠からメルヘン街道を下り中央道で浦和へ帰る。
山巓からの眺望は得られなかったが、雨の北八つを充分堪能した山行だった。

                P1000924.jpg P1000926.jpg P1000949.jpg
                蓼科山への登路      大河原峠          雨池峠
                (写真はクリックして拡大して下さい)

*長年使っていた愛用のデジカメが機能せず、息子夫婦からプレゼントされた高級デジカメを持って
いった。高級すぎてまだ使いこなせず、想っていたイメージを撮り込む技術が今のところ身についていない。
反省。







テーマ:登山 - ジャンル:スポーツ

尾瀬散策
 咲き初めの可憐なミズバショウを見たい という妻の希望を受け、友人 Yu氏夫妻と尾瀬を歩いた。
会津駒ケ岳登山を除き、燧ヶ岳の裾野を一周するほぼ昨年の独り歩きと同じルートを案内した。

DSCF1863.jpg  DSCF1865.jpg
ミズバショウ          リュウキンカ        (写真はクリックして拡大してください)

’08.6.1(日)浦和〜塩原〜会津高原〜檜枝岐温泉(泊)
    6.2(月)温泉〜御池駐車場〜燧裏林道〜温泉小屋〜見晴〜龍宮小屋(泊)・尾瀬ヶ原散策
    6.3(火)小屋〜白砂乗越〜尾瀬沼・沼尻〜長蔵小屋〜大江湿原〜沼山峠〜御池〜
          檜枝岐〜浦和

 この季節でも歩く人の少ない燧裏林道は、昨年よりも残雪が多かったが 雪と池塘と枯野の田代は
ツガやトウヒ、シラビソの暗い森、新芽を吹いた明るいブナ林と相まって静寂の中に春の息吹を感じさせるに
充分であった。
高層湿原・上田代から見た会津駒ケ岳はまだ一面真っ白、昨年の登頂の思い出が蘇る。

2007_0601会津駒&尾瀬0017 会津駒ケ岳

幾つかの田代と沢を横切り、段吉新道の大橇沢周辺ではムラサキヤシオとタムシバの紅白の彩りも
鮮やかだった。

 尾瀬ヶ原は期待に違わず 咲き初めでまだ葉が小さく白い包が際立つこの時期特有のミズバショウ
が同行者を楽しませた。
リュウキンカ、ショウジョウバカマ、タテヤマリンドウ、ミツガシワ、ザゼンソウなどなど・・・
原の周囲はダケカンバの林、至仏山、景鶴山、燧ケ岳の山々が風情を添える。
ワタスゲはまだ穂先が黒く、白いひげはつけていない。ニッコウキスゲ、ヒオウギアヤメ、イワイチョウ
の新芽が枯野を押し上げ始めていた。
小屋は平日なのにアマチュアカメラマンの団体で満室。

 翌日は小雨。やはりこの時期のミズバショウには雨が似合う。朝霧の中、カッコウの声がひと際
冴え渡る。梢で尾をピンと上げ翼をたらし、声を遠くまで響き渡らせるカッコウの姿をYu氏が見つけた。
托卵する相手の巣はモズかホオジロだろうか。

DSC00891.jpg 梢で独唱するカッコウ

 尾瀬沼までの白砂峠越えはエンレイソウが目立つ、2〜3ヶ所で白花のエンレイソウを見つけた。
が、妻や友人に見せたかったギンリョウソウは探し出すことが出来なかった。まだ少し早いのだろう。

DSC00896.jpg  2007_0601会津駒&尾瀬0057
白花エンレイソウ       尾瀬沼・沼尻

 尾瀬沼は雨に煙り 静かな佇まいを見せていた。沼畔のヒメシャクナゲの花芽はまだまだ固く、
今年は少し遅くなりそうだ。
尾瀬の父と呼称される武田久吉博士の「明治の山旅」に、明治38年7月初旬、戸倉から鳩待峠を
経て尾瀬ヶ原・山の鼻まで5時間半、湿地のミズバショウ、草地のオオサクラソウが可憐であった
と語り、 我々同様、丈堀(現 見晴)から白砂峠を越え沼尻へ、さらに尾瀬沼の北岸を浅湖湿原から
沼田街道・長蔵小屋への道を辿ったと記し、沼尻からは
「ゴゼンタチバナの白花美し、路は燧ケ岳の裾を行くにてツガなどの巨木 昼なお暗きまでに生い立ち
時には例のネマガリダケのはえたる斜面をつたいて泥土に足を奪われしこと数回なりき・・・」 と。

 帰途は大江湿原を抜け、残雪の沼山峠を越えた。
峠の手前にあった熊追いの鐘は撤去されてしまっていた。

DSCF1861.jpg 檜枝岐村のライラック

昨年同時期の会津駒ケ岳&尾瀬は 「山行クロニクルNO.9」を覗いてみてください。





奥日光散策
 カラマツやシラカバの芽吹きを訪ねて、友人夫妻と奥日光を歩いてきた。
当初は、丸沼高原の菅沼から 座禅山を越え奥白根山に登る予定であったが、まだ残雪1〜2m、
冬道ルートのため、雪山経験の浅いご夫妻にはきつそうなので 湯の湖、小田代ヶ原、戦場ヶ原の
散策に変更、高原のまだまだ浅い春を湯の香とともに味わった。

DSCF1803.jpg DSCF1800.jpg DSCF1802.jpg
菅沼             残雪の菅沼登山口    前白根山

散策ルート 5.8(木)
 湯の湖(右岸)〜湯滝〜小滝〜小田代ヶ原〜幕張峠〜赤沼〜戦場ヶ原〜湯の湖(左岸)〜
 湯元温泉

DSCF1820.jpg DSCF1812.jpg DSCF1813.jpg
湯の湖           芽吹き始めたカラマツ   小田代ヶ原のカラマツ林

DSCF1809.jpg DSCF1805.jpg DSCF1817.jpg
湯川             湯元・源泉口        シャクナゲの花芽

(写真はクリックして拡大してください)




雪の 丹沢
DSCF1771.jpg  DSCF1774.jpg 春の雪に埋もれた 塔ノ岳 山頂
(写真はクリックして拡大してください)

「山行クロニクルNO.19」 丹沢
’08年3月19日(木)〜3月21日(土) 2泊3日  単独

3.19(木)浦和〜東名秦野中井IC〜ヤビツ峠〜札掛(泊)
3.20(金)札掛〜長尾尾根〜新大日〜塔ノ岳(泊)
3.21(土)尊仏山荘〜花立〜大倉尾根〜大倉〜札掛〜浦和

3.19(木) 首都圏に住みながら丹沢山塊は初めて。東麓ヤビツ峠の北、もう宮ヶ瀬湖に近い
札掛から 長尾尾根を越えて塔ノ岳(1491m)〜丹沢山(1567m)〜蛭ヶ岳(1673m)まで主脈を
歩こうと計画。
蛭ヶ岳山荘の登山情報で 登山道からは一部を除いてほとんど雪が消えたという19(木)に浦和を
出て札掛へ向かった。気象条件は余り良くなく、太平洋上の低気圧の動き次第。
札掛は雨に淋しく煙っていた。
DSCF1768.jpg 

 夜、さらに新しい低気圧が発達しながら太平洋上に という情報、気圧配置も最悪。
今夜の宿は丹沢ホーム、オーナーのN氏は NPO法人「丹沢自然保護協会」の理事長。宿泊者は
私一人。毎月発刊している「丹沢だより」を前に、協会の活動や今年のシロヤシオの開花予想などを聴く。

3.20(金) 早朝6時、蛭ヶ岳山荘へ現状を聞くため電話を入れたところ、現在 猛吹雪。小屋周辺
で既に積雪30cmを越えているとのこと。
主脈三山縦走はとても無理と判断、とりあえず塔ノ岳までを目指すことにし、7時30分、ヤマグリの実
と枯葉を敷き詰めた長尾尾根に取り付く。
 上ノ丸を過ぎて鹿の防護ネットの柵を2回抜け尾根に出る頃から スギやヒノキの梢が大きく揺れる
強風。ミゾレ交じりの吹雪となった。

DSCF1769.jpg みぞれのブナ林

 標高1000m付近、樹相の美しいブナの林を過ぎると 猛烈な吹雪。トレースの無い登山道は湿った
新雪で膝上まで積もり、ツボ足で歩くピッチはまるで上らない。

DSCF1772.jpg  DSCF1773.jpg

 1200mの小ピークを過ぎて新大日までの尾根は真正面からの吹雪に逆らい、吹き溜まりを避けながら
一歩一歩前進。新大日の小屋が営業していればゆっくり休憩しようとそればかり考えていた。
11時30分、新大日着。標準2時間半の登りを4時間かかった。
無常にも小屋は閉鎖中。しばし小屋陰で休む。
この先はおそらくラッセルが必要となりそう。独りで体力が持つかどうか。少し戻って境沢経由で撤退
するか 思案。 塔ノ岳 尊仏山荘まで標準行程40分、3倍の2時間とみて前進と決めた。

 木ノ又大日では腰までの雪。ストックで雪を掻き 膝で崩しラッセル。
出来るだけ雪の深い登山道を避け、左右の土手の雪の薄いところを雑木に摑まりながら攀じる。
苦闘 2時間30分、塔ノ岳山頂。尊仏山荘によたよたと転がり込む。
午後2時、札掛からなんと6時間半を要した。

DSCF1775.jpg  DSCF1776.jpg 雪の塔ノ岳山頂

 オーナーY氏に迎えられ、真っ白に変色した指先を暖める。
小屋には大倉尾根を登ってきた30代の若者がひとり自炊をしていた。私に食欲は無く、持参のウイスキー
をお湯割りにしチョコレートを舐める。
3時過ぎ、三人の若者が大倉尾根を登ってきた。今夜の泊まりはこの5人。皆、自炊の素泊まり組と
あって、オーナー氏も飲み仲間に加わり一緒に歓談。氏は鹿児島出身とて薩摩の芋焼酎を2本も提供
してくれ、皆で盛り上がる。私以外の若者は皆30歳前後、なかなかの好青年揃い。
 三人組は同じ職場であったが、この春、二人が転職するのでその記念にこの丹沢へ登って来たと
語っていた。丹沢名物のシロヤシオはだいたい4年毎に盛花となるようで 今年より来年に期待している
とY氏は言う。

 戸外は相変わらずの猛吹雪、20メートル以上の風が小屋をギシギシ揺する。登って来たトレースは
はや新雪に埋まって消え、吹き溜まりは1メートルを越えた。
皆、翌日は丹沢山まで足を伸ばすことを諦め下山すると言う。私も比較的雪が少ないと思われる大倉尾根
を降ることに変更、青年達のトレースの跡を歩かせて貰うことにした。
オーナーの好意で大型ストーブをガンガン焚き、消灯時間を延長、9時まで楽しい宴会は続いた。

3.21(土) 早朝5時、まだ風雪は強い。朝食後明るくなった頃から雪は止んだ。
7時30分、好青年4人の後に続き小屋を出る。

DSCF1778.jpg  DSCF1779.jpg 青空が覗き始めた山頂

 ツボ足でトレースをつけてくれた最後尾を歩かせてもらい、花立へ。
途中アイゼンを着け凍った急坂を降りながらも周囲の雪景色を楽しむ。雪の消えた天神尾根分岐からは
気遣ってくれた青年達に御礼をいい、先行してもらい、雲の切れ間に時折覗く太陽を浴び、一人のんびり
シカとの出会いを楽しむ。昨日の苦闘が嘘のよう。

DSCF1781.jpg

 登山口 大倉着、11時15分。
先着していた青年達と生ビールで乾杯。バスで渋沢駅へ出る彼らを送り、タクシーで札掛まで車を
取りに戻った。
 雪を避けたつもりの山歩きが単独ラッセルのおまけ付きの登山となった。ハンドルを握る指先が
まだジンジンと痛む。

 

テーマ:登山 - ジャンル:スポーツ

奥多摩・大岳山
 12月、1月と山行の機会を失し、ぬくぬくとした日々を過ごしていたので、雪の低山を歩き
氷点下の山小屋泊で耐寒訓練でも と思い、奥多摩三山のうちまだ登っていないニ山、
大岳山と御前山を歩こう と 今年の春一番が吹き荒れた低気圧の通過中に奥多摩・御岳
に向かった。

 この奥多摩三山は日本山岳耐久レースのコースとなっており、毎年秋には 夜通し駆け抜ける
2000人近いトレイルランナーで賑わうそうだ。
残念ながら、昨年10月の第25回大会では初の滑落死亡事故が起きてしまったが・・・

DSCF1748.jpg 大岳山 山頂からの富士
                     (写真はクリックして拡大してください)

「山行クロニクル No.18」  大岳山
 ’08年2月24日(日)〜2月25日(月)  1泊2日  単独

2.24(日)浦和〜御岳 滝下〜御岳山〜大岳山荘〜大岳山〜鋸山〜大岳山〜山荘(泊)
2.25(月)山荘〜大岳山〜御岳〜浦和

 7時30分浦和出発、強風の中、高速道を使わず 青梅線の御岳山麓まで一般道を走る。
10時発のケーブルカーで御岳山頂近く、標高818mまで。このケーブルカーの最大斜度は
25度、約6分の急登。山頂近くの樹木にはムササビの巣が幾つか取り付けてあり、
夜のイベントとしてムササビの滑空の鑑賞会をやっているようだ。

 御岳神社に参拝し、大岳山への雪に埋もれた登路で高度を稼ぐ。まだ強風が吹き渡っている。
予報では夕方には治まるだろうとのこと。
DSCF1757.jpg DSCF1756.jpg DSCF1752.jpg
御岳山 神社と宿坊   御岳神社          大岳への登山道

 すっかり裸木になった樹林の中、ハゼの木が2〜3本 まだ梢に白い実を揺らしていた。
昔はこのハゼの実から蝋を摂ったとそまびとに教わったが、いまでもそうなのだろうか。
途中、芥場峠を越えたところに山岳耐久レースの55km地点の標識と炊き出し小屋があった。

坦々とした雪の山道を歩くこと2時間、大岳山荘前のテラスにでて昼食。
ここからアイゼンを着け大岳神社横の凍った急登を攀じり、標高1266mの大岳山頂。
奥多摩の山にしては山頂が幾分拓け視界が良い。
真正面(南西)に秀麗な富士、左(南)に丹沢山塊、右(西)に大菩薩嶺が、さらに往く手(北)
近くに御前山、その奥に雲取山 酉谷山 鷹ノ巣山などが望まれた。

DSCF1749.jpg DSCF1748.jpg DSCF1750.jpg
大岳山頂                        手前・御前山 中・三頭山 奥・大菩薩嶺

 山頂にはコガラ、シジュウカラ、胸のオレンジが可愛いヤマガラなどが遊んでいた。
御前山への尾根道に入ると、この雪道を短パンに薄手のトレーニングシャツ、ランニングシューズ
の30歳前後と思われる登山者?と出逢う。耐久レースのトレーニングですか? と聞くと
そのつもりで来たのですが、まさかこんなにまだ雪があるとは思いませんでした。走るどころか
速足にも苦労しています・・・。サブザックも持たないようなので 水とチョコレートを差し出し
たが、大岳山荘で何か手に入れますから と立ち去った。

 強風に揺れる裸木の中を歩くこと1時間半、鋸山と御前山の分岐にかかり 往く手の
御前山(1405m)を眺める。あまり変わり映えしない山容、今日はここまでとし再び大岳山
を越えて山荘まで戻ることにした。

 15時45分 大岳山荘着。本日の泊り客 私一人。
私以上に無口な小屋主で
 15:45 「こんにちは 今日はお世話になります」
         「・・・」
         「夕食は5時半、朝食は6時」
       「わかりました ビールはありますか」
         「貯蔵庫から取って来ますので往復30分かかります」
       「すみませんが御願いします」

 16:30   「ビールが凍っているのでこの湯に浸けてから飲んでください」
       「えっ そうですか」

 17:30   「夕食が出来ました」
       「はい ありがとう」
 18:00 「ごちそうさま おやすみなさい」
         「隙間風が強いので好きなだけ布団と毛布を使ってください」
       「ありがとう」
その日の二人の会話はこれがすべて・・・

 2階の大部屋はすこぶる寒い。耐寒訓練のつもりだったのでビバークよりははるかに暖かい
と言い聞かせたが、夜半過ぎからは毛布を追加しても寝付けない。
室内で氷点下3〜4度だろうか 顔が強張った。

 翌朝、7時30分みたび大岳山頂へ。晴天。コーヒーを沸かし、奥多摩や丹沢の峰峯を眺めて
早朝の静かなひとときを楽しんだ。十分満足し、御前山を止め下山。
朝の凍った雪道はアイゼンが気持ちよく効いた。 浦和帰着 14時30分。

DSCF1734.jpg 
  



テーマ:登山 - ジャンル:スポーツ

甲武信岳
2007_0512甲武信岳0023
 武信白岩山      昨年5月、時ならぬ雪に見まわれた甲武信岳山行
              写真はクリックして拡大してください

「山行クロニクルNO.8」 甲武信岳・三宝山・白岩山
’07年5月10日(木)〜5月12日(土)   2泊3日   単独

5.10(木)浦和〜中央道須玉IC〜信濃川上・梓山〜毛木平(駐車場)〜西沢ナメ滝〜
       千曲川・信濃川水源〜甲武信岳〜甲武信小屋(泊)
5.11(金)小屋〜甲武信岳〜三宝山〜白岩山〜大山〜十文字峠〜毛木平〜梓山・白木屋旅館(泊)
5.12(土)梓山〜野辺山高原〜佐久〜上信越道〜浦和

 週間予報にはなかった低気圧が急速に発達しながら近づいているとの予報の中、早朝
5時半に浦和を出発、9時少し前に信州梓山・毛木平駐車場着。
2007_0512甲武信岳0001  2007_0512甲武信岳0031 カラマツとシラカバの若木が美しい毛木平

 9時過ぎ、カラマツとシラカバの樹林を縫って千曲川・信濃川の源流目指し登り始める。とり
わけカラマツの芽吹きが5月らしい明るさを醸しだしていた。因みに、甲武信岳(2475m)は
荒川(東京湾)、笛吹川・富士川(相模湾)、千曲川・信濃川(日本海)の三川の分水嶺。

 雪解け水を集めた清流の沢沿いをのんびり歩く、西沢のナメ滝が美しい。水源まではカラ類
(コガラ、ヒガラ、シジュウカラ)やサンコウチョウが多い。標高1900mを過ぎると残雪、ツガ
の幽林となり、今にも降りだしそうな曇天と相まって暗い樹林が続く。奥秩父山塊ならではの
風情だ。何回かの徒渉を繰り返し水源の碑のちょっと拓けた所で雪の上に腰を下ろし、簡単
な昼食。
2007_0512甲武信岳0004 水源の碑

 残雪で埋もれた水源の碑から上はシラビソやトウヒの遠目には黒い森の急登。国師ヶ岳・
水師から続く尾根に出る頃から急に風が強まり、雷鳴が轟き雪となった。
甲武信岳頂上直下で20分ほど雷の通過待ち。2475mの頂上はミゾレ交じりの雪のため展望
なし。ここまで一人の登山者にも遇わず静けさと寂しさを満喫する。
2007_0512甲武信岳0015 甲武信岳頂上

 築35年の甲武信小屋は外壁や窓が隙間だらけで氷点下の外気とほとんど変わらず零度、
持参したカミさん手作りの翌日用の握り飯が室内で凍った。
泊り客は私のほか2組3人。小屋番と酒を飲みながら四方山話のなか、彼も北岳山荘の小屋
責任者 I氏をよく知っているとのことでキタダケソウとこの山域では絶滅したアツモリソウが
肴になった。 
                                  2007_0512甲武信岳0011甲武信小屋
 一晩中季節外れの雪(残雪30cmの上に新雪20cm)。
翌朝、天候の回復を待ってゆっくり8時に小屋を出る。甲武信岳への登り返し、さらに三宝山
(2483m)、武信白岩山(2280m)から十文字峠への道も真っ白、我が踏み後だけが後に
残った。
2007_0512甲武信岳0014  2007_0512甲武信岳0016  2007_0512甲武信岳0023

しかし、新雪の下、溶けかかった残雪はすぐ膝までズボッと潜り、その度に足を引き抜くのが
辛い。本日も甲武信岳からの眺望はなし。三宝山から白岩山への途中で青空が覗くように
なった。アイゼンを着けたままのクサリ場はちょっときつかったが樹氷と岩峰の白岩山は素晴
らしかった。西方は晴れて昨日の新雪を冠した南八ヶ岳(硫黄岳、横岳、赤岳)が美しい。
残念ながら南の甲斐駒や白峰三山はまだ雲に覆われ見えず。
2007_0512甲武信岳0024 八ヶ岳遠景

 十文字峠で小屋に立ち寄り、餌場に寄ってくるシジュウカラやコガラと遊びながらビールと
おでん。奥秩父・栃本から真の沢林道を経て信州・梓山に抜けるこの峠はトウヒの林とシャクナゲ
が心にやさしく趣が深い。アズマシャクナゲは花芽を十分膨らませていたがまだ一ヶ月早い。
 木暮理太郎氏や田部重治氏等の紀行文を思い浮かべながら峠を降り梓山へ急いだ。彼らが
語った梓山の面影は、僅かに毛木平周辺のカラマツ林に残されていた。毛木平から戦場ヶ原
を経て梓山集落まで 寡っては一面カラマツの美しい林であったというところはすべて伐採
され、いまでは拓けた高原野菜の畑となっている。

 大正から昭和初期にかけて彼らがよく利用した白木屋旅館は新館が増築され、清潔な一夜
を与えてくれた。
帰路、早春の野辺山高原から見た冠雪の八ヶ岳は美しかった。
2007_0512甲武信岳0034










テーマ:登山 - ジャンル:スポーツ

火打山
2007_0703火打山0018 笹ヶ峰牧場からみた火打山

 昨年(’07年)7月初めに友人と歩いた 頚城三山のひとつ火打山(2462m)の山行記録
です。

「山行クロニクルNo.11]  火打山          
’07年 7月1日(日)〜7月3日(火)  2泊3日        友人と2人

7.1(日) 浦和〜上信越自動車道 妙高高原IC〜笹ヶ峰牧場(泊)
7.2(月) 笹ヶ峰〜十二曲り〜富士見平〜高谷池〜天狗の庭〜雷鳥平〜火打山頂〜
       高谷池ヒュッテ(泊)
7.3(火) 高谷池〜茶臼山〜黒沢池〜富士見平〜笹ヶ峰〜浦和

7.1(日) 第一日目
 大学時代の友人 Mさんに、一度、残雪と花の山に登りたいので と頼まれ、新潟と長野の
県境 頚城山塊の主稜、火打山を選んだ。ここしばらく単独行ばかり続いていたが久し振りに
全行程をパートナーと歩くことになった。
登山基地は妙高高原の笹ヶ峰牧場。大学時代、サークル仲間と1週間の合宿、その合間に
10人ほどで妙高山に、さらに少人数で火打山にも登った懐かしい想い出の地。
 今回はその火打山を目指す。2500m級では妙高に比べ、初心者でも比較的楽に登れる
山である。

 昔、合宿所にした明星荘で遅めの昼食。小屋は新しく建て替えられ、大黒柱と囲炉裏だけ
が黒光りする昔のままで残されていた。
当時、小屋の親爺さんにしゃくなげの手作りパイプを貰いましたよ と小家主夫妻に話したら
私達の父ですよ とすぐ話が弾んだ。親爺さんから、パイプに適したしゃくなげの枝の選び方
を教わったり、ドラム缶の風呂に女子部員を入れるための緊急のカーテンを吊ったり・・・。

 笹ヶ峰牧場はまだ放牧しておらず、静かに霧に包まれていた。新しく出来た近くの県民の森
に宿を取り、足慣らしに牧場周辺を2時間ほど散策、ギンリョウソウを見つけ写真に撮る。
葉緑素をまったく持たない透き通った銀白の背丈3cmほどの花。撮影後、Mさんは陽のあた
らないようまた上草や枯葉を戻していた。岳には登らないが牧場や池、小さな沢を巡る散歩道
を楽しんでいる各年代のカップルが多い。皆、牛がまだ放牧されていないのを残念がっていた。
2007_0703火打山0001  2007_0703火打山0002
霧の笹ヶ峰牧場       ギンリョウソウ

7.2(月) 第二日目
 朝食を弁当にしてもらって登山口を6時30分に出発、曇天。
見事なブナ林の中の木道を歩き始める。この時期の新緑も良いが秋の紅葉はさぞ素晴らしい
だろうと想う。四季折々の山で、序章としてのアプローチでブナの林を歩くことが多いが、
私はこのブナの林が好きだ。
 まだ、残雪の中、雪解けを待たずに芽吹く力強さ 春、陽春の光にキラキラと輝く若葉 
梅雨時の厚く濃い緑、 そして強風の後に その花粉が水溜りに美しい黄緑の文様を画く夏
秋は、実をつけ 黄、橙、赤、茶と一枝に彩り鮮やかなパッチワークを見せる。
カラマツやカンバのように淋しさを感じさせない。ブナの森は山へ這入る者にいつの季節も
澄んだ感覚を呼び起こしてくれる。

 黒沢から十二曲がりを越え徐々に高度を稼ぐ。シラビソやトウヒの針葉樹林帯は梅雨の
影響で登山道はグチャグチャ。岩場の急登にかかり、自称短足のMさんは苦労するが7キロ
余を担いで元気そのもの。3時間余りで尾根に出て富士見平に着く。
残念ながら霧と雨で眺望はない。黒沢池を経て妙高山に至る道を分け、高谷池〜火打山へ
の道を辿る。
 小雨の中、高谷池へ向かう道はダケカンバと背の低いオオシラビソが目線を遮り、根曲り竹
の新芽がピンピン跳ねて歩きにくい。それでも足下は白いキヌガサソウやサンカヨウ、ところ
どころにベニバナイチゴの赤い花が混ざる。雨に濡れ透き通った白さの小粒の花々が緑葉の
上で揺れるサンカヨウはとりわけMさんの気に入りとなったようだ。

2007_0703火打山0003  2007_0703火打山0004
サンカヨウ           キヌガサソウ

 11時、高谷池ヒュッテ着。宿泊手続きを済ませ、小屋で弁当を広げる。雨が激しくなり
しばし様子見。湯を沸かしコーヒーを楽しむ。眺望は望めなくとも 今日山頂まで行きたい と
張り切るMさんに従い、ザックを預けサブザック一つの身軽になって雨と濃いガスの中、小屋
を飛び出す。小屋番は この雨のなかをサポート役は大変ですね と視線を送る。

 高谷池はミズバショウが盛り、池塘に雪田が残る天狗の庭はハクサンコザクラとイワイチョウ
が真っ盛り。イワイチョウは小さい漏斗のような若葉を一面に拡げて絨毯を敷き詰めたよう。
その中に白い花がすっと伸びている。
ハクサンコザクラは雨に打たれ下を向いていたがそれでも十分楽しめた。

2007_0703火打山0017ハクサンコザクラ

 コバイケイソウやナナカマドの白い花、峰サクラの淡いピンク、コイワカガミの桃色、ベニバナ
イチゴの赤紫、ミヤマキンバイやウサギギクの黄色。
ガスに包まれて周囲の見えない単調さを花々が慰めてくれる。頚城火山群の中にあって女王
と言われるに相応しく火打山は花の山だ。

 雷鳥平で霧が出ているので雷鳥に遇えるかもと期待したが、午後だったせいか声も聞こえ
ず姿も見えず、残念。頂上直下、急傾斜の150mぐらいの雪渓を慎重にクリア、その後、
Mさんを先頭にして山頂へ。
 100平方mほどの山頂は雨と白霧、ケルンと標識がひとつずつ三角点の傍らにあった。
360度の展望を誇る周囲の遠景は見られなかったが、岩場、高層湿原、花畑、雪田・雪渓、
ガレ場と変化のある山歩きを十分堪能してくれたようだ。
丹沢ばかり歩いていないでたまにはこの種の山を楽しんでください と言ったら、丹沢の山々
にも良いところがあります と気色ばまれてしまった。

 降りで見た 霧の中、大小の池塘の傍らに佇む三角屋根の高谷池ヒュッテの遠景は一幅
の絵画だった。
4時半、小屋に帰着。満足、満足と呟くMさんの夜食の健啖ぶりは見事。底抜けに明るい。
でも雑魚寝の山小屋泊まりは初体験とか。
昨1日が妙高山の山開きだったので結構宿泊者が多いのではと思ったが、その夜の泊まり
は4パーティ 10人。一晩中小雨。

2007_0703火打山0013高谷池とヒュッテ

7.3(火) 第三日目
 朝食後7時に小屋を出て、茶臼山(2171m)経由で黒沢池まで足を伸ばす。
この道は歩く人が少ないのか先頭を行く顔にときどき蜘蛛の糸がかかる。小枝を拾い顔の前
でタクトのように振って歩く。ほどなく雨も上がり、雲が流れ、切れ切れに薄日が臨まれるよう
になった。まだ遠望は利かず、傾斜の少ない尾根道は相変わらずぬかるんでいたが花々が
目を惹きつける。エンレイソウの群落は珍しい。
 黒沢池のドーム型小屋の前で休憩。根曲がり竹があちこち新芽を立ち上げている。
昨日は雨の中停滞していたパーティがこの根曲り竹を集めお土産を作っていたが、ここのは
ちょっと細いので我々は採取を止め、帰途 売っているのを買うことにした。

 黒沢池の高層湿原はチングルマ、ワタスゲが目立った。草地にはハクサンチドリ。
この黒沢池は 高谷池とはまた異なった美しさを見せてくれた。紅葉の秋は高谷池よりも
きっと美しいだろうと想う。
 
 昨日の分岐点、富士見平に10時着。高谷池を出てからここまですれ違う登山者は皆無。
降りは弱いというMさん こんな急な所を登ってきたのかしら とお尻を滑らせながら岩場を降る。
途中、登ってきた3組のパーティと挨拶を交わす。熟年男女8人組みはチリンチリンと熊除け
の鈴が姦しい。おしゃべりだけで熊は寄ってこないと思えるがファッションなのかもしれない。
12時、笹ヶ峰登山口帰着。薄日が射して暑い。

 二日前の県民の森ロッジでビールで乾杯、昼食。火打山のあれこれを語り合う。
火打山には荒々しさがまったくと言ってよいほど見られない、いかにも女性的な美しさに満ち
た山であった。世界各地を歩いているMさんも日本の山の繊細な美しさを見直したようだ。
私にとっては 学生時代に合宿した牧場と山。その地を再び学生時代の友人と歩き、
遥かに過ぎ去った青春の日々を想い起こす山行となった。

 2時、四十数年ぶりに訪れた笹ヶ峰を後に帰宅の途へ、よる8時過ぎ浦和帰着。
ここ一ヶ月 雨の山行ばかり、2週間後に予定している 室堂〜五色が原〜薬師岳〜太郎平
縦走は天候に恵まれますようにと願う。




   

  

テーマ:登山 - ジャンル:スポーツ

涸沢の紅葉 と 初雪の穂高岳
20071209223524.jpg (画像はクリックして拡大してください)

 この写真は初冬の北アルプス・・・
千歳から中部セントレアへ向かう途中、機内から撮影したものを北海道
の友人が送ってくれた。
見慣れた角度ではなく、あまりにも高高度なので一瞬アレッと思ったが
画面中央に槍ヶ岳と槍沢、左へ大喰岳、中岳、南岳を経て北穂高岳。
右奥には鷲羽岳、黒部五郎岳、左奥には笠ヶ岳が、手前は右から常念岳
〜蝶ヶ岳への稜線が写っている。懐かしい山々である。
 この写真に触発され、まだ「俄歩」に記載していない昨年歩いた山稜
のクロニクルを補筆して転載しました。

20071209224858.jpg   20071209225003.jpg   20071209225106.jpg
槍・穂高の稜線        紅葉と穂高           朝の涸沢小屋

「山行クロニクルNo.4] 穂高岳  
’06年10月11日(水)〜10月16日(月)5泊6日  単独
10.11(水)浦和〜中央道松本IC〜坂巻温泉(泊)
   12(木)温泉〜上高地〜横尾〜涸沢小屋(泊)
   13(金)涸沢〜ザイテングラート〜白出のコル〜奥穂高岳〜穂高岳山荘(泊)
   14(土)山荘〜涸沢岳〜ザイテングラート〜涸沢小屋(泊)
   15(日)涸沢〜横尾〜上高地〜坂巻温泉(泊)
   16(月)温泉〜浦和

 涸沢カールの紅葉のピークに合わせて、岩峰 穂高の稜線を歩こうと計画、
混雑する7(土)〜9(月)の三連休を避け山小屋の予約を取った。
この三連休、急速に発達した低気圧による荒天で、初雪と強風のため、
北アルプス白馬岳周辺で5人、私が向かおうとする穂高岳では、前穂高
で1人、奥穂高で1人が遭難死した。

家内や息子達夫婦も皆「行くのをヤメテ」の大合唱。簡易アイゼンか
ら雪山用の12本爪に替えるなど十分装備を点検したし、荒れた場合の
心の準備もしたから と説得に努めた。
「どうしてこんな時に一人で登るの?」、「何故〜」と言われても・・
山に登ろうとする者にとっては「どうやって登るか」そのことは結構
考えるが、「何故登るか」ということはその時はあまり考慮しないものだ。
登る時になって何故と考えるのはあまり現実的ではなく、むしろ日常的
なテーマとして胸の内に納めているものだろう。
山小屋情報では稜線の積雪20cm程度だが、かなり凍ったところが多い
のでアイゼンは必携とのこと。天候の長期予報はまずまず。

10.11(水) 第一日目
 上高地、槍や穂高へ行くときはいつも定宿としている坂巻温泉まで
車を走らせ、入山中この温泉宿に車をデポする。
上高地の入り口、釜トンネル付近では安房峠よりに中の湯、信州側にこ
の坂巻の湯があり登山基地として利用しやすい。坂巻の湯は硫黄やナト
リウムを含んだ炭酸水素塩泉で源泉は80度近い高温のため 館内の
暖房もすべてこの湯でまかなっている。源泉掛け流し。非常に身体が
温まる湯で古くは「子宝の湯」としてご婦人に喜ばれたと言う。
 
DSCF1406.jpg 坂巻温泉

10.12(木) 第二日目
 シャトルバスで上高地に入る、8時ちょっと前。晴天。
バスターミナルや河童橋周辺もまだ紅葉には早く、平日の早朝とて観光客も少ない。
梓川の左岸に沿って明神岳や前穂高岳を横目に見ながら明神〜徳沢〜横尾
まで約3時間。
20071209234911.jpg 梓川から明神岳・前穂高岳

横尾山荘で昼食、横尾大橋手前の広場は涸沢〜穂高へ向かう組、槍沢〜
槍ヶ岳へ向かう組 さらには双方から降りてきた登山者で賑わっている。
重たそうな一眼レフを胸にぶら下げた中年男性に 涸沢の紅葉はどうですか
と尋ねると 今がピークです 満足する写真が撮れましたという返事。
12時、梓川に架かる横尾のつり橋を渡り横尾谷に分け入る。本谷橋までは
針葉樹と笹ヤブの坦々とした道。色づいた木々を貼り付けた屏風岩の
巨大な岩壁を左に眺めながら本谷橋へ。ここまで1時間。

2006_101606奥穂高・涸沢岳0088 屏風岩

橋を渡ると急登、しばらく汗をかくとガレ場に出て遠くに涸沢を望むようになるが
これからが結構時間をとられる。さらに1時間半、真っ赤なナナカマドや黄色の
衣を纏ったダケカンバの間を抜け、涸沢ヒュッテと涸沢小屋が見える石畳に出る。
涸沢 池ノ平だ、ここまで休憩を含めて上高地から7時間。

赤、青、黄、緑のカラフルなテント場の中を涸沢小屋(2300m)までの登りを励む。
 見事! 素晴らしい! 手近の真っ赤なナナカマド越しに涸沢カールの白い
雪渓、その上に空を囲むように左から前穂北尾根、前穂高岳から吊尾根を経て
奥穂高岳、真ん中の鞍部 白出のコルから右に涸沢岳そして北穂高岳 と
峨々たる岩峰群が我が身を見下ろしている。皆、僅かに白い雪を頂いている。
 小屋のテラスに腰を下ろし時計を見る、4時少し前。
誰しもが口を揃えて讃える涸沢の紅葉、それが今目の前に展開している。吹き渡る
風は冷たいが生ビール片手に飽かず眺めた。
2006_101606奥穂高・涸沢岳0026 2006_101606奥穂高・涸沢岳0025 2006_101606奥穂高・涸沢岳0019 2006_101606奥穂高・涸沢岳0082
北穂             前穂と奥穂 吊尾根    カールの雪渓       テント場

  3日前の三連休は一畳に2人の混みようだったそうだが、今日はゆとりがあり一畳分を一人
で確保。明日の登頂を楽しみに星空を眺め、就寝。

10.13(金) 第三日目
 晴天。常念山脈から昇った朝陽でモルゲンロートに輝く奥穂高岳や涸沢岳に向かって
7時30分、小屋を後にする。涸沢岳から伸びた小さな痩せた枝尾根 ザイテングラート
への取り付きまで、カールの岩場と雪渓を登る。
2006_101606奥穂高・涸沢岳0023 2006_101606奥穂高・涸沢岳0030
モルゲンロートに輝く穂高     ザイテングラート

 ザイテングラートの岩場は薄い雪と氷に覆われかなりの神経を使う。往く手は真っ青な
空のもと穂高の峰峯と稜線が美しく、振り返るとカールの雪渓と紅葉の対照が鮮やか。
急峻なアップダウンにかかりアイゼンを着ける。
小屋から白出のコル 穂高岳山荘まで標高差700mの急登を3時間かかってこなし、
山荘の雪のテラスで昼食、休憩。

高年齢の単独行故、遭難事故があったばかりの小屋の気遣いを素直に受け、12時過ぎ
宿泊手続きを済ませザックを預けて空身で奥穂へのクサリと梯子の懸崖に挑む。
雪と氷の岩稜をアイゼンを効かせて約1時間、奥穂高岳(3190m)頂上。
 吊尾根の先には前穂の突起、西穂方面は僅かに雪を被ったジャンダルムの威容、
さらに北へ向かって涸沢岳から北穂、大キレットの落ち込みを越えて槍ヶ岳への稜線、
いずれも筆舌なり難い美しさと威圧感をもって迫ってくる。
2006_101606奥穂高・涸沢岳0041 2006_101606奥穂高・涸沢岳0037
ジャンダルム        涸沢岳〜北穂高岳

青空の下微風の中、4〜5人がやっと立てる程度の頂上の祠の傍らに腰を下ろし、西の
笠ヶ岳、東の常念岳、北方、槍ヶ岳の奥には鷲羽岳や水晶(黒)岳さらに つるぎ岳と
後立山連峰の白い嶺々を眺め、煙草をゆっくり楽しみながら、穂高を繰り返し訪れる岳人
の心情を理解する。
 この次、ここに腰を据えるのは夏か、残雪の頃だろうか・・・。前穂高への吊尾根、西穂高
への峻険な稜線を目で辿りながら、ブリザードと陽光の違い、たった5,6日の違いで 
彼岸へ逝ってしまった山人達のことを想う。
2時間後、山荘に戻り談話室で酒を飲みながら落日を待つ。
2006_101606奥穂高・涸沢岳0036 2006_101606奥穂高・涸沢岳0053 2006_101606奥穂高・涸沢岳0049  
奥穂頂上から見た笠ヶ岳   山荘談話室      遠く加賀の白山に沈む夕陽

10.14(土) 第四日目
2006_101606奥穂高・涸沢岳0057 2006_101606奥穂高・涸沢岳0056
常念山脈に昇る朝陽    山荘の朝

 雲は多いが今日も晴れそうだ。テラスで朝陽を浴び、食後 涸沢岳(3,110m)を登る。
頂上からは涸沢槍への切れ込みの先に北穂高岳のドームと南峰が大きく立ちはだかり
難所の大キレットから南岳を越えて槍ヶ岳への稜線が おいでおいでをしている。
東側、眼下の涸沢カールに紅葉が錦を広げている。

2006_101606奥穂高・涸沢岳0060 2006_101606奥穂高・涸沢岳0072 2006_101606奥穂高・涸沢岳0076
涸沢岳頂上        北穂高岳〜槍ヶ岳稜線        カールの紅葉

 満喫して2時間後 再びザイテングラートを降る。土曜日とて登ってくる人の多いこと。
その都度、前穂の急峻な北尾根七峰を眺めて待機。カール底、池ノ平周辺も散策する人が
小さな蟻の行列を描いている。
 雪渓下部の大岩で昼食を作り日向ぼっこを決め込む。
もう一度雪が来たら終わりと思える紅葉を愛で、この季節 この廻り合わせの僥倖を感謝
する。 再び 涸沢小屋。週末の今日はオーナーも登って来ていた。
中高年女性のパーティーが多く、小屋の中まで錦秋の賑わい。夕食は3回転、それでも
予約客は一人一畳を確保できた。
 前々日に北穂沢を登り北穂高から涸沢岳への懸崖をこなして来た若者と隣り合わせ、
彼は北穂、私は奥穂を語った。明日は上高地へ降るが、問われて屏風の頭を越えて徳沢
に降るパノラマコースを薦める。 熟睡。

10.15(日) 第五日目
 本日も晴れ、4日間もの晴天続きに感謝。
名残惜しい涸沢を後に本谷橋を経て再び横尾に戻る。小腹を満たし 徳沢でパノラマコース
を下山した昨日の若者と偶然出逢う。連れ立って明神の嘉門次小屋に行きイワナとビール
でそれぞれの素晴らしかった山行に乾杯。
相席となった2人連れの女性と他愛のない会話を楽しみ時を忘れる。上高地をよく訪れると
いうこのご婦人達、それぞれしゃれた帽子に個性的なシルクのスカーフ、「お山は如何が
でした」と問いかけてくるうす色のサングラスの奥の瞳が美しい。

 日曜日の午後とて河童橋のたもとは大勢の観光客。シャトルバスで坂巻の湯に帰ったのが
午後3時、この山行の恵まれた条件に感謝し静かな湯で汗を流した。
自然の息衝きが素直に五感に溶け込んだ本当に贅沢な山の日々だったと想う。

      しみじみ晴れて 風ふく一人        種田山頭火

10.16(月) 第六日目
 宿で扱っている手作りみそをみやげに浦和へ帰る。
この夜は 何度も何度も穂高の岩稜が脳裏を廻り、なかなか寝付かれなかった。

(画像は クリックして拡大してください)



テーマ:登山 - ジャンル:スポーツ

安達太良山
 はやくも積雪40cmという山小屋情報、白い静かな山を楽しみに
アイゼンとピッケルを用意し、福島県 安達太良山へ向かった。
高村光太郎の「知恵子抄」で知られた安達太良山、
「安達太良の嶺に伏す 鹿猪のありつつも 我は至らん 寝床な去りそね」と
万葉集にも詠われている。
 
 前泊は岳温泉の奥、奥岳の湯。源泉は58度の単純酸性泉、時と気温
によって透明になったり白濁する。掛け流し。
この湯の記述は800年代に遡り、1000年以上も昔から湯日(ゆい)の湯
として知られていたようである。

11月26日(月) 第一日目
 午後2時 奥岳温泉着。さっそく湯を楽しみ、近辺を散策する。
半分雪に覆われたスキー場のゲレンデはシーズンを前に準備に急がしそうだ。
安達太良山へは、このスキー場のゴンドラを使えば標高1350mの
薬師岳直下まで運んでくれるようだが、紅葉も終わりスキーにはまだ早
いこの時期は運休中。夕方から木枯らしというより強風が吹き渡る。
15m以上、ちょっとした台風並み。ホテルの従業員に聞くとこの時期
この程度の風はよく吹きますとのこと。遥かに見える稜線は雪雲が逆巻いている。

DSCF1685.jpg   DSCF1681.jpg   DSCF1684.jpg
安達太良山遠景       薬師岳

 奥岳の湯宿(ホテル)の泊り客は約10人、登山者は私ひとりのようだ。
 夕食後、奥田 博著「新福島百山紀行」を翻いていると以下の記述があった。
「「あだたら」の名の起源には諸説がある。いわゆる「タタラ」伝説に
基づく鉄を産出した山という意味。(確かに安達太良山には鉄山という
名の嶺が実在する)
また 坂東太郎と同じ安達の太郎が転じた という説。さらには
アイヌ語で「私たちの山」と呼ばれた という説。これらの三説、それぞれ
史実・ロマン・言語などに基づくものであるが、いずれもなかなか捨て
がたい説である。・・・」

11月27日(火) 第二日目
 曇天。まだ風は強く 標高900mの奥岳温泉でも10m以上。
望む稜線は濃い灰色の雲が走り 雪模様。
8時30分、ホテルを出て林道を歩き始める。薬師岳〜五葉松平〜安達
太良山のルートを選び登山道に分け入る。粘土質の土壌の上に薄い雪、
しばらくはズルズルすべり歩きにくいこと夥しい。
40分ほどして石ころ交じりの道となり急登にかかる。わずかに下山者
の踏み後があるも未整備の道は 雪に隠れた岩の隙間に足が落ち、ニ度
三度と痛い目に会う。登る人はほとんどがゴンドラを使うようだ。

 約1時間で稜線、積雪は30cm 風は約10m 小雪が顔をたたく
なかを薬師岳へ向かう。1200mくらいからアイゼンを着ける。
ここまで誰にも会わず、時々ちらっと垣間見える往く手にも動く影は
ない。強風の音だけがモノトーンの世界を圧倒する。
視界は狭く風下の麓の方向だけが僅かな明るさとともに開け、無人の
ゲレンデや牧場らしきものが霞んでいる。
稜線の低木も赤や黄の衣を払い落としてくすんだ裸木となり、足元の
雪を纏ったシャクナゲだけが緑を覗かせている。遠景の木々はすべて
黒い塊としか見えない。

 薬師岳頂上着 10時30分。約2時間かかった。風の合間をみて
周囲を撮影。往く手の安達太良山(乳首)は吹雪で見えない。
まだ11月とて 本格的な雪山装備を怠り、ゴーグルを持ってこなかっ
たことが悔やまれる。この吹雪ではサングラスでは役立たない。
11時まで様子をみるが黒灰色の空に雪混じりの風はいよいよ強く、
今日は治まりそうに無い。山頂周辺の気象はどうか 山小屋と連絡とろ
うにも携帯は圏外。
 潔く撤退と決め、下山にかかる。12時30分 奥岳登山口に戻り
早々に家路に就く。
11月末とはいえ、やはり雪山を楽しむには十分な装備を整えなくては
と反省。

DSCF1679.jpg 奥岳の湯



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鳳凰三山(薬師岳・観音岳・地蔵岳)
 一週間前から小雪がちらつき始めたという山小屋情報、しかも出発前夜、
尾根道に雪が積もったと聞き、砂糖菓子のように周りを氷に縁取られた
紅葉を写したいといっぱしのカメラマン気取りで日曜日、午前11時過ぎ、
我が家を後にした。
鳳凰三山、W.ウエストンの「The playground of the Far East」の中に、
地蔵岳のオベリスクの初登頂、また 尾瀬の父と呼ばれる武田久吉氏の
明治の山旅に、シャジン(沙参、キキョウ科のツリガネニンジンの漢名)
の原種を求めて薬師岳や観音岳に登頂した記述があるが、明治・大正・
昭和の初期に、あまたの峰峯に登り、素晴らしい山岳紀行文を残されて
いる木暮理太郎氏、田部重治氏その後の畦地梅太郎氏、上田哲農氏、
串田孫一氏なども、この鳳凰三山については登高の記述が目につかない。
対峙する白峰三山(北岳・間の岳・農鳥岳)や個性的な甲斐駒ケ岳、
仙丈岳に囲まれ、あまり登頂意欲が喚起されない山なのであろうか?。
 比較的高山植物の少ないこの山はいまでは紅葉や雪の頃によく歩かれ
ているようである。私にとっては 寡って学生時代に一度登るべく計画
したが、時ならぬ台風の襲来で見送り、その後、北岳や仙丈岳に登った
時もただ眺めるだけ。今年も9月に甲斐駒ケ岳への道々眺め、何時かは
登ってみようと思っていた山である。計画から40数年振り、こういう
のを久恋の山というのかも知れない。

 登るなら趣のある湯宿 青木鉱泉からと決めていた。
薬師岳・観音岳・地蔵岳の鳳凰三山は、奈良時代から平安初期にかけて
修験者により開山され、地元では奈良法皇(孝謙女帝)が登ったことに
より、山名も法皇山と名づけられ、後に仏教の霊鳥である鳳凰に因んで
鳳凰山と呼ばれるようになった としている。
女性の登山によって広く山名が知られるようになった山というのは珍しい。

(写真はクリックして拡大してください)
DSCF1634.jpg  DSCF1626.jpg  DSCF1650.jpg
 薬師岳            観音岳            地蔵岳

「山行クロニクルNo.16」
  鳳凰三山           3泊4日   単独

10.21(日)浦和〜中央道〜青木鉱泉(泊)
10.22(月)鉱泉〜中道〜薬師岳〜薬師小屋(泊)
10.23(火)小屋〜薬師岳〜観音岳〜アカヌケ沢の頭〜地蔵岳〜
        ドンドコ沢〜青木鉱泉(泊)
10.24(水)鉱泉〜浦和

10.21(日)第一日目
 昔ながらの湯宿を髣髴とさせる鄙びてはいるが格調のある宿、青木鉱泉、
午後2時着。
 DSCF1615.jpg  DSCF1673.jpgマユミの花

 宿からは 中道を直接薬師岳へ登る道とドンドコ沢を登り地蔵岳へ至
る道のニ路があるが、いずれも登り一辺倒で6時間余りの行程。
中道から薬師岳へ登り、薬師小屋泊。翌日、再び薬師岳そして観音岳、
アカヌケ沢の頭、地蔵岳を歩き鳳凰小屋からドンドコ沢を降り青木鉱泉
へ周遊するルートに決める。
 3時過ぎから日曜日とて下山者で賑わい始めた宿の周辺を散策、沢グルミ、
ドングリ、ヤマグリなどの実を拾い集め、孫への山みやげとする。山ぶ
どうはてっぺんの方にわずかな小さな房、ほとんど収穫されてしまったようだ。
下山者の入浴客多く、湯に入ったのは夕食後。ひとりのんびり沸かし湯
(弱酸性泉)をたのしむ。開湯時(延暦年間)は、現在よりももっと
高所にあったといわれる青木の湯、現在の場所は明治14年からだそうで、
三代目の方が管理されていた。

10.22(月)第二日目
 晴天。いよいよ1140mの鉱泉から2780mの薬師岳頂上まで、
標高差1600m強の登り一辺倒に挑む。沢を渡り林道を歩くこと40分、
中道ルートの登山口 7時着。深い混交林の中、電光形の急登を登りはじめる。
 延々3時間、やっとシラカバ林の少し拓けた小ピークに、簡単な昼食
を摂る。ここまでただただ只管眺望の利かない樹林を喘いだ。
標高2000m、樹層はカラマツ林を過ぎシラビソなどが多くなっている。
まだこの先700m以上の標高差を稼がなければならない。かなりハードだ。
ここまで身軽な装備の健脚者二人に先を譲る。腹ごしらえをし覚悟を決めて
再び急登に挑む。高度2700mで視界が拓けやっと薬師岳頂上の岩塊
が望まれた。頂上(2780m)着 2時。度々の休憩も含め7時間の登り。
秋の陽ははやくも西に傾いていたが、白砂と岩塊の頂上からは 南東に
冠雪の富士、西には指呼の間に聳える北岳をはじめとする白峰三山、さらに
塩見岳や荒川岳。皆 頂は既に雪に覆われていた。北に仙丈岳、八ヶ岳
遠くには木曾の御嶽山が眺められた。
 吹き渡る風が冷たい。明日歩く予定の観音岳への稜線が美しく、期待
値が膨らむ。地蔵岳やその奥の甲斐駒ケ岳は間近の観音岳に隠れて見えない。


DSCF1623.jpg  DSCF1638.jpg  DSCF1646.jpg
富士山             白峰三山           北岳バットレス

 すっかり冷え切った身で薬師小屋へ 宿泊手続きをし小屋の前でビールを楽しむ。
夕食時、自炊組みも含めて宿泊者は25人ぐらい。夜叉神峠からの入山者が多かった。
隣人は40歳前後、同じ中道ルートで私をすいすい追い抜いていった健脚者。
日帰り登山が中心で小屋泊まりの山行は今度が初めてとのこと。いろい
ろ山名を挙げどうですか と聞かれた。
夜は氷点下 2度C。

10.23(火)第三日目
 晴れ。薄日がこぼれているが結構雲が多い。6時30分、薬師岳へ
登り返し、前日逆光だった白峰三山を写す。この薬師岳から観音岳、
アカヌケ沢の頭、そして地蔵岳への稜線歩きがこの山のハイライトだ。
晩秋の柔らかい陽を一身に浴びながら花崗岩の白砂、緑のハイマツそして
風に撓んだ低木のカラマツの黄葉の間を 雪に覆われた北岳のバットレスを
左に眺めながら気分良く歩く。三山の最高峰 観音岳(2840m)ま
では雪は解けている。観音岳頂上、間近に地蔵岳のオベリスクが聳え、
甲斐駒ケ岳が白い三角錘を見せる。
DSCF1654.jpg  DSCF1661.jpg
稜線のカラマツ       甲斐駒ケ岳

ここからアカヌケ沢の頭(2750m)までの北面の尾根は雪が凍って
降りが辛い。かといってアイゼンをつけるほどでもなくこの中途半端が
怖い。アカヌケ沢の頭で三角点を探すが見つからない。高嶺・早川尾根
への道を分けて地蔵岳直下 賽の河原へ降る。40体前後の石の子授け
地蔵が安置されている。今は少ないようだが昭和初期までこの地蔵を
一体借りて下山、枕元に置いておくと子が授かると言われ、実現したら
ニ体にしてここに返す ということが行われていたそうだ。
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賽の河原の地蔵群     地蔵岳オベリスク

地蔵のオベリスク近くまで登るが、その先の巨岩にはザイルを使わない
ととても無理。
ザレ場の急下降をしばし、鳳凰小屋 9時45分着。約3時間の尾根歩
きは景色も良く大変楽しかった。昼食を作ることにし大休止。
DSCF1663.jpg
 食後、出発間際に昨夜の隣人が到着。10時30分、ドンドコ沢の長時間
の降りに入る。今度は ただただひたすら樹林の中の降りに汗をかく。
50分ほど降ると沢の音が大きくなり五色の滝、さらに30分ほどで
白糸の滝。登りの中道と異なり、この沢沿いの降りは滝の変化があって
ちょっと気が紛れる。
DSCF1667.jpg  DSCF1668.jpg
五色の滝           白糸の滝

さらに降って鳳凰の滝をパス、次の南精進の滝で休んでいるとまた昨夜
の隣人が追いついてきた。しばし歓談。この後、樹林の中を一緒に歩く
 途中の沢でとうもろこしのような形態の赤い不気味な花実を見つけ
写真に撮る。(後で鉱泉で聞いたら この地方ではマムシグサというそ
うだ。一本だけ伸びた赤い実をつけた茎がマムシの背の模様にそっくり)
 やっと降り終わり鉱泉着 3時。地蔵岳から5時間 降りっぱなし。
そのまま車で帰る彼と別れゆっくり入湯。汗を流し疲れを癒す。
夕食までビールと日本酒。懇意になった四代目を目指す鉱泉の若主人か
ら木工細工を孫の土産に頂いたり、たまたま泊まり合わせた八ヶ岳 黒
百合ヒュッテ(15年前家内と泊まった)の若い小屋番と話が弾んだ。
これから一冬の小屋番に備えて休暇を楽しんでいるとのことだった。

 夕食後再びゆっくり湯を楽しみ 8時床に就く。
6帖の一人部屋で障子を開け 窓から十三夜の月を眺めこの山行を振り
返った。こうこうと輝く月を見ていると 昭和の初期、まだ交通網の
未発達の時代 この月明かりを頼りに登山口まで夜通し峠を越えた先達
たちの紀行文が思い出される。とりわけ串田孫一氏や川崎精雄氏などは
月明かりの夜道の一人歩きを楽しまれたようだ。
寝付かれぬまま山歩きのあれこれを考える。
 山歩きは他のスポーツとは異なり、人が作ったルールに合わせること
なく自然が与えてくれた条件、状況に従っている。いわば自然のルール
に従う。それ故、山に向かうとき 山を歩くときは出来る限り原始的な
感覚を大切にしたい。その方が自然との一体感に浸れると思う。
普段使いすぎて擦り切れた都会人の感覚が山に這入ることによって
研ぎ澄まされ、美しさへの傾斜の度合いとか心の充足とかだけでなく
危険をも事前に膚で察知することができるようになるのだろう。単独行
はその最たるものだろう。一人だからこそ感じられる貴重な自然との
対峙、単独行は登山者が自覚すべき自己責任と常に向き合っている と
いうことがよいのではなかろうか。
あらためて「自然と向き合える体力 自然を味わえる感性 自然に応え
られる知力 を大切にしたい」と考える。

10.24(水)第四日目
 泊まり合わせた登山者のひとり 同世代の人にバス便がないので
市街地まで便乗させてくれと頼まれ、JR韮崎駅まで送り 12時浦和帰着。

 やっぱり 一人がよろしい 雑草
   やっぱり 一人はさみしい 枯草    種田山頭火



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