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俄歩
高嶺を歩けなくなったいまでも 「自然と向き合える体力 自然を味わえる感性 自然に応えられる知力を大切にしたい」  という心根は持ち続けていたいものです
プロフィール

俄歩人 (がふと)

Author:俄歩人 (がふと)
雪山は2011年1月、
高嶺は2013年9月の槍ヶ岳が
最後となりました。
いまは 季節の移ろいを想い出
の地に求めて彷徨しています。
年に一度、写真集「岳と花」を
記載。
(さいたま市 浦和 在住)



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奥日光・丸沼高原
 秋色を求めて 日光湯元温泉から金精トンネルを抜け、
群馬県側片品村の丸沼高原へ・・・。

DSC01728.jpg 金精峠  (写真はクリックして拡大してください)

DSC01765.jpg 湯ノ湖と男体山



 ロープウエイで標高2000mまで昇り、紅葉を愛で 静かな森を散策。

DSC01759.jpg DSC01732.jpg

DSC01733.jpg DSC01734.jpg DSC01738.jpg



 ロックガーデンには名残の花が・・・。

DSC01745.jpg DSC01730.jpg DSC01737.jpg DSC01744.jpg



雲に巻かれた日光白根山を仰ぎ、遠くに燧ケ岳を眺む。

DSC01746.jpg DSC01752.jpg 僅かに顔を見せた山頂

DSC01758.jpg 眼下に丸沼、遠くに燧ケ岳



 帰途、菅沼に憩う。

DSC01760.jpg DSC01761.jpg 静かな菅沼

 この菅沼登山口から日光白根山に登ったのは もう随分と昔になった。

(2018.10.9 秋色を探して)














北へ・・・
DSC01693.jpg DSC01695.jpg
ハマナスの 花と実       (写真はクリックして拡大してください)

 この8月で喜寿を迎えた妻、子供たち主催の都心での盛大な宴の余韻も
覚めやらぬうちに、月末は、北の友人T氏夫妻と いまはひとり身で古稀を迎える
義弟、そして我々夫婦 老々5人で空路函館へ・・・。

 今年は北海道命名150年、ここ一週間ほどテレビでも その開拓史や
アイヌ民族の生活史の映像が流れていた。
 道南、渡島半島周辺では 奥尻島や函館、駒ヶ岳・大沼公園などは
訪れたことがあるが、噴火湾入り口の恵山の亀田半島や
日本海側松前半島の江差や松前などは まだ未訪であった。

DSC01726.jpg 道南 渡島半島南部

8.31(金)  東京羽田=函館空港 レンタカー~戸井~恵山~椴法華~川汲温泉
         ~森町~落部~銀婚湯(泊)
9.1 (土)  銀婚湯~日本海 乙部町~江差町~かもめ島~上ノ国町~松前町(泊)
9.2 (日)  松前町~白神岬~知内町~木古内町~函館市~函館空港=東京羽田

 津軽海峡の対岸に下北半島、鮪の一本釣りで知られた大間を臨みながら
こちらは 鮪のはえ縄漁で知られた戸井へ・・・
北の大地では 何処を訪れても寂漠とした廃線跡に出遭う。

DSC01650 (1) DSC01653 (1) DSC01652 (1)
旧戸井線の廃線跡

DSC01654 (1) 戸井漁港近くの海岸

 亀田半島の先端部近く 海浜公園から恵山(618m)を眺める。
海岸から見上げても 有史以前の爆裂跡が生々しく感じられる。

DSC01655 (1) 恵山を眺む

 波の静かな噴火湾(内浦湾)側にでて 川汲温泉~鹿部町へと走り、
鹿部温泉の間欠泉を見物。

DSC01657 (1) 一定の間隔で十数メートルは吹き上げる

 大沼側の雄大さとは異なる姿を見せる駒ケ岳を海岸線から眺め、
いかめしの森町を過ぎて 落部川に沿って山中に分け入り、今宵の宿「銀婚湯」へ。

DSC01674.jpg DSC01662 (1) DSC01669.jpg 銀婚湯

 秘湯を守る会会員、大正天皇が銀婚の日に宿泊されたことから名付けられたという温泉宿。
落部川の中州に位置し、広大な庭には ナトリウム・塩化物・炭酸水素塩泉の
4つの源泉(64度~90度)を持ち、6ヵ所の風情ある露天風呂が散在している。
湯はすべて源泉掛け流し。

DSC01663 (1) DSC01668.jpg 露天風呂の一部


DSC01673.jpg DSC01667.jpg DSC01672.jpg DSC01675.jpg
庭                                 水松(イチイ、北海道ではオンコ)

 一番の若者が妻の弟で古稀、平均年齢OO歳の老々5人は
ゆっくり掛け流しの湯を堪能し、妻の喜寿と義弟の古稀の祝膳を囲んだ。

 翌日は 山中を日本海に抜け、乙部町から奥尻島を海上遙かに見て
民謡「江差追分」と豪商の旧家で知られる江差町へ。

DSC01692.jpg 正調の江差追分(前唄 本唄 後唄)を聴く
 追分の節回しは難しいが、尺八の調べは素晴らしく、びょうびょうと日本海から吹きすさぶ
真冬の烈風に負けじと冴えわたる響きを彷彿とさせる音色。

 現存する海産物問屋や回漕業の旧家を見学、往時の繁栄に想いを馳せる。

DSC01680.jpg DSC01677.jpg 中村家

DSC01685.jpg DSC01688.jpg 横山家(残念ながら手打ちそばの営業は終了していた)

DSC01689.jpg 江差町の祭山車

 江差のシンボル、かもめ島を散策、瓶子岩、繋船場跡、幕末に江差沖で座礁沈没した
開陽丸などを見て歩く。

DSC01696.jpg DSC01697.jpg DSC01698.jpg
瓶子岩               繋船場跡

DSC01703.jpg 開陽丸(原寸大で復元)

DSC01706_20180904104438ce1.jpg

 江差町から松前町まで 松前半島の日本海側 追分ソーランライン(228号線)は
波打ち際のわずかな平地に 半農半漁の営みと思える小集落が点在するばかり。
その日は松前で宿をとった。
この地は江戸時代、1604年から蝦夷地の領地権、徴役権、交易の独占権を得て
日本最北の藩として成立し、現在は春の桜の名所として広く知られている。

DSC01712.jpg 桜の名所 松前城

DSC01707.jpg 旧繋船場跡

DSC01714.jpg 清楚な町並みを再現

DSC01710.jpg 白神崎 北海道最南端 津軽海峡を挟んで青森県竜飛岬灯台を臨む
   (4年前の秋、ひとり竜飛岬灯台から この北の大地を眺めた時は こんなに近くは感じられなかった)

DSC01715.jpg DSC01716.jpg 朝の松前海岸


 最終日は 松前半島の津軽海峡沿岸を福島町、知内町、木古内町と走り抜け、
函館朝市で買い物、五稜郭を散策後空港でレンタカーを返却、空路それぞれ帰宅の途へ。

DSC01718.jpg DSC01719.jpg DSC01721.jpg 水草(菱)
                                 五稜郭がいっぱい

DSC01724.jpg ご当地バーガー全国一の店
              (札幌にもないとか、行列40分待って購入)

 学生時代から幾度となく訪れている好きな北の大地で、今回もまた
海の幸と湯、そして友と酒に親しんだ三日間の旅であった。


(2018.8.31~9.2
 北海道命名150年、道南で古稀と喜寿を祝う集い)



追記:
 帰宅後4日目、6(木)未明の北海道胆振沖大地震、
共に旅した北の友人T氏夫妻の安否を確かめた。
夫妻の居所は 全国にテレビで終日映像が流れた あの液状化現象が
起きた清田区(札幌市)。
 食器類はほぼ全滅、書籍や小物類は散乱するも、家屋や家具類、
車庫や庭の被害は少ないとのことであった。
しかし、停電のうえライフラインはすべて沈黙、まさに非常事態の様子。
いまは 健康を損ねぬよう祈るのみ・・・。 9.6(木)





































ひまわり
IMG_3876.jpg photo by Mei (孫娘の作品)   写真はクリックして拡大してください

 「ひまわり畑が見たい」と 泊まりに来ていた孫娘Meiの頼みで、
5万本の花が見ごろを迎えた蓮田市の近郊を訪れた。

 外気温35度、厚化粧の暑苦しい同じ顔に 一斉に見つめられ、
一気に汗が噴き出す。

DSC01629.jpg DSC01630.jpg

 嬉々として写真を撮りまくる孫娘に付き添いながら、
妻も私も思い浮かべたのは マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンの
イタリア映画「ひまわり」だった。
ロシアの広大な大地に地平線まで広がるひまわり畑・・・、
マンシーニの主題曲とともに甦る。

DSC01627.jpg


 あまりの暑さに 水辺が恋しくなり、道の駅「おおとね」のホテイアオイの群落、
羽生の淡水公園のミズカンナと食虫藻「ムジナモ」を見に立ち寄る。

DSC01636.jpg DSC01638.jpg DSC01639.jpg ホテイアオイ

DSC01641.jpg DSC01115_2018080311174526d.jpg ミズカンナ

DSC01647.jpg 貉藻 モウセンゴケ科の多年草・水生食虫植物

 男子の育児経験しかない私にとって ローティーンの女の子の扱いは難しい。
物言わぬメダカを買って帰った。

(2018.8.2 暑いひまわり畑)











外房の海
DSC01626.jpg 南房総 白浜   (写真はクリックして拡大してください)

 東京生まれ 東京育ちの私にとって 山は遠く 海が近かった。
また 千葉育ちの妻にとっても 夏の遊びと言えば房総の海であった。
 戦後の混乱期が過ぎ 高度成長へ「もはや戦後ではない」と経済白書が
声高に叫んだ頃、進駐軍払い下げの重いテントを担ぎ 外房の海岸を
泊まり歩いたことも 遠い想い出のひとつとなっている。


DSC01612.jpg DSC01613.jpg DSC01616.jpg
           太海   仁右衛門島と漁港


 二人とも特に予定がないことを確認した早朝、
外房に海岸をのんびりドライブしようと出かけた。
御宿、勝浦、鵜原、守谷、興津、小湊、鴨川、太海、江見、和田浦、千倉、白浜・・・、
と、それぞれの子供時代・青春時代、そして我々の愚息たちの子育て時代に
過ごした海岸を眺め、遙かに過ぎ去った頁を繙き 語り合った。

P1060296_20180727135054b9e.jpg P1060361_201807271351497af.jpg 鵜原理想郷 と 守谷海岸


 泳ぐこともなく 浜を歩くこともなく、
ただただ様変わりした風景の中に いまだ変わらぬ自然を見つけては
嬉々として楽しんだ。
 歳月とは 無常さばかりではなく、また色褪せるばかりでもなく
心を暖めてくれるものでもある。


DSC01622.jpg DSC01625.jpg 千倉海岸 と 野島崎灯台


(2018.7.26  外房の海を眺める)

DSC01617.jpg







飯豊山麓
DSC01609.jpg 雪解が始まった飯豊連峰 (写真はクリックして拡大してください)

DSC01608.jpg 梅花皮(カイラギ)岳(左)と北股岳(右)の間に石転び沢雪渓

 既に10余年も経過してしまったが、飯豊連峰の北麓(山形県側)の飯豊温泉から
石転び沢雪渓を攀じ、梅花皮岳へとりつくため、あれこれ準備したことがあった。
もはや この最大斜度40度、標高差1000mを超える石転び沢を登攀する体力は
ある筈もなく、ただただ懐かしさのみで 山形県小国町まで車を走らせた。
 
 米沢北ICで高速道を降り 日本海側村上市へ向け113号線を小国町へ。
小国で飯豊連峰北麓登山口飯豊温泉へ向け玉川に沿って地方道15号線を南下、
ここまでさいたま浦和から約400キロ。

DSC01583.jpg 飯豊温泉への道

 登山口の温身平(ぬくみだいら)にある飯豊山荘は 今年は何故か7月からの営業とかで
少し手前の川入で梅花皮荘に宿をとった。

DSC01593.jpg 風呂 源泉51.7度 硫酸塩温泉 掛け流し

DSC01590.jpg DSC01588.jpg 露天風呂とその眺め


 翌朝、宿の周辺を散策
DSC01595.jpg DSC01594.jpg 宿の前の玉川と梅花皮岳・北股岳

 その後、大嵓尾根を経て飯豊本山へ
       石転び沢雪渓から梅花皮岳へ
       梶川尾根から門内岳へ
       丸森尾根から頼母木岳へ  と主要4コースの登山口が集中する温身平へ。


DSC01596.jpg 温身平(ぬくみだいら)への道

落ちついたブナ林にハルゼミの声が降り注ぐ 温身平

DSC01584.jpg

DSC01585.jpg DSC01597.jpg DSC01601.jpg DSC01602.jpg
                   マタタビの白い葉                 梶川尾根登山口


 温身平の散策後、
雪解の飯豊連峰の全容を眺めたく 樽口峠へ向かった。

DSC01609 (1) 樽口峠から飯豊連山を臨む

DSC01603.jpg DSC01604.jpg DSC01605.jpg DSC01606.jpg
いさいぐら尾根の奥に飯豊本山                北股岳~門内岳
                 烏帽子岳・梅花岳~北股岳              小独峰と地神山
                
 
 飯豊本山から地神山まで 見事な稜線が連なる。
あの飯豊の星、イイデリンドウも咲きだしたことだろう。
歩けなかった稜線への想いは結構深い。
かっての計画書を繙きながら 眺めいるひとときであった・・・。

DSC01610.jpg 石転び沢を詰めた稜線鞍部の梅花皮山荘もまだ営業していないと聞く

 帰途は 日本海側に出て 新潟県村上市の東日本東北道荒川胎内ICから
磐越道郡山JC経由で帰宅。 往復走行 約900キロ。

(2018.6.25~26 未踏の嶺を眺める)


800px-Gentiana_nipponica_var__robusta_3.jpg 飯豊の星:イイデリンドウ (ウイキペディアより)





 










入笠山
 白銀の蝙蝠・・・、蒼穹の彼方に浮かぶ残雪の高嶺を眺めて
ひとり歩き続けた来し方の懐かしき日々を想い返そうと、
八ヶ岳と南アルプスの展望を求めて入笠山へ。

 途中の中央道SAで 白根三山を見上げるも
かなり雪解けが進み「白銀の蝙蝠」ならぬ「星ガラス」が翼を
拡げたような風情。
晴れてはいても梅雨入り間近とて 蒼穹とはいかず
水蒸気を多量に含んだ大気は 煙ったように重たげに澱んでいた。

DSC01533.jpg 白根三山(写真はクリックして拡大してください)



DSC01546.jpg  この入笠山(1955m)、最初に歩いたのは昭和30年代、
富士見高原のサナトリウムに入院中の叔母を見舞った折で まだゴンドラも無かった。
最近では7年前の残雪期にも。
今回は事前に山荘に連絡を入れ、御所平まで車で入る。

御所平 小景
DSC01578.jpg DSC01576.jpg DSC01579.jpg DSC01577.jpg
入笠山を仰ぐ         ズミの咲き乱れる牧場                カラマツ林


登山道 点描

 ズミが咲き誇り、カラマツが緑に芽吹き、サルオガセも生気に溢れ
薫風に靡いていた。

DSC01535.jpg DSC01536.jpg DSC01553.jpg DSC01562.jpg
白さが美しいズミ(コナシ)の花             カラマツにスカーフのように靡くサルオガセ


 山頂からは 中央アルプス、南アルプス、八ヶ岳連峰そして富士山。
北アルプスは霞み肉眼でしか確認できなかった。

DSC01541.jpg DSC01542.jpg DSC01543.jpg DSC01550.jpg
中央アルプス         南アルプス         八ヶ岳             富士山

DSC01549.jpg 入笠牧場方面



御所平の花畑を抜け、入笠湿原へ。

DSC01558.jpg DSC01556.jpg DSC01560.jpg
花畑               スズラン           ツマトリソウ
 ヨーロッパではスズランを天国への階段(13階段)と言われるが、
本当に13個の小花をつけていた。


DSC01565.jpg DSC01563.jpg DSC01567.jpg DSC01568.jpg

DSC01570.jpg DSC01571.jpg DSC01575.jpg
クリンソウ                           テンナンショウ

 至るところ、頭上にズミ、足下にシロバナヘビイチゴが咲き、
レンゲツツジは蕾が大きく膨らんでいた。

(2018.6.3 歩く)

















「ラ・ラ・ランド」inコンサート
DSC01524.jpg    (写真はクリックして拡大してください)

 次男夫婦の招待で 生演奏付きのミュージカル映画「ラ・ラ・ランド」を鑑賞してきた。
場所は東京有楽町の国際フォーラム。
いまはやりのシネマコンサートで、オーケストラは東京フィルハーモニー交響楽団であった。

DSC01521.jpg DSC01526.jpg DSC01528.jpg DSC01529.jpg

 私より情感豊かな妻は感激していたようであるが、
上映中ずっと、私は「ウエストサイド・ストーリー」を想い出していた。
私の青春時代、昭和30年代に 日本で初のロングランとなったあのミュージカル映画・・・、
「体育館でのダンス」はいまだ脳裏にこびりついている。

 
 久しぶりにマロニエの花咲く銀座裏通りを散策。
老舗で会食、ウインドショッピング、現代風バールで食後酒を楽しみ、
ライトアップが美しくなった東京駅で次男夫婦と別れた。

DSC01530.jpg DSC01531.jpg DSC01532.jpg


(2018.4.30   都会での一日)








上海へ
 春休み、孫娘(Mei)はママとその両親とともにイギリスへ一週間ほど遊びに行くというので、
私たち夫婦は長男(Meiパパ)が海外赴任中の中国・上海へぶらっと息抜きに・・・。

 ここ4~5年の間に 香港、広州、上海と個性ある中国の東海岸の主要都市を見聞、
わずかではあるが 幾多の矛盾を孕みながらも経済発展を遂げている超巨大国家の
一面が見えてきた。

DSC01480.jpg DSC01482.jpg (写真はクリックして拡大してください)
滞在ホテルと部屋からの上海市街
  3泊とも 日系のオークラ・ガーデンホテル(花園飯店)に連泊。

 滞在2日目からは清明節(春分後15日目)と土曜の連休とて、
街中 老若男女で溢れ、主要観光名所や特別展が開催されていた上海博物館などは
さながら人々の風俗や素行見物の場と化していた。

 我家に遺されている若き日の父が撮影した1930年代末の外国疎開地 外灘などの
石の建造物は 外観は変わらず残されており、掲揚されている旗のみが変わっていた。

DSC01423.jpg DSC01426.jpg 黄砂とPM2.5に霞む浦東ビジネス街

DSC01406.jpg DSC01420.jpg DSC01422.jpg DSC01424.jpg

 外灘、黄浦江の河畔を歩き、欧風石造建築群と内陸からの黄砂とPM2.5で
霞がかかった対岸の浦東ビジネス街を眺める。

 公共乗り物は安価、タクシーは日本の半値、地下鉄は3分の一の料金。
しかし 大都会といえどもマナーは相変わらず悪く、乗降や車内の態度は最低。
ただ、敬老の精神はまだ残っているようだ。

DSC01398.jpg DSC01453.jpg DSC01452.jpg 地下鉄


DSC01477.jpg 街路は ほとんどフランス青桐の並木、薄いピンクの花びらが風に舞っていた


 南部の商都 広州同様、上海でも街中では英語は通じない。
滞在中は愚息の何とか通じる北京語のフルアテンドで観光や食事を楽しむ。
私達年配の日本人には懐かしく感じる近郊の蘇州や無錫へ遠出せず、
外灘、人民広場・南京路、豫園・上海老街、静安寺、田子坊・生鮮市場、新天地などを散策。
夜は上海雑技団の「時空の旅」と題した多媒体舞台劇の雑技を楽しんだ。


DSC01405.jpg DSC01401.jpg 人民広場

DSC01402.jpg DSC01403.jpg 南京東路

 家族連れや近郊からの行楽客で人民広場や南京路は大賑わい。
幾重にも並んだ入館待ちの行列に 上海博物館は諦めざるを得なかった。


 伝統的な上海の雰囲気を色濃く残す豫園周辺

DSC01432.jpg DSC01433.jpg DSC01428.jpg DSC01430.jpg

DSC01427.jpg     DSC01429.jpg
路上の書家        蟹の唐揚げ


 混雑する豫園を抜け1800年近い歴史を持つ名刹、静かな静安寺へ。
文革で破壊されたのち修復された各殿閣の金色の瓦は壮観。

DSC01438.jpg DSC01437.jpg DSC01442.jpg



 石庫門スタイルの老朽化した集合住宅と入り組んだ路地が錯綜する田子坊。
ちょっとした小物や珍しい食べ物を求めて歩き回る。
上海シルクの小物と外灘風景写真の壁掛けを上海土産とする。

DSC01462.jpg DSC01475.jpg  DSC01464.jpg DSC01465.jpg

DSC01473.jpg  DSC01467.jpg 唐辛子粉とTシャツ屋 

DSC01469.jpg DSC01472.jpg DSC01474.jpg
変わり饅頭         臭豆腐           飴

地元市民の生鮮市場

DSC01454.jpg DSC01455.jpg DSC01456.jpg DSC01458.jpg

DSC01459.jpg DSC01460.jpg DSC01461.jpg

 どこの国を旅しても 私は必ず地元市民の食材マーケットを尋ね、
その食生活の一端に触れるのが好き。
しかし、息子は 地元食材はいまだ買ったことが無いという。

愚息の居住界隈

DSC01446.jpg DSC01448.jpg DSC01447.jpg
居住マンション  近くの書店と安売り雑貨店
 中国では中央政府指定の発禁本も多く、また日本語本は高価なので
今回も「13-67」(陳 浩基著)、「炎と怒り」(マイケルウオルフ著)など10冊ほど
漬物や明太子などの日本食材とともに 愚息への土産として持参した。



中国雑技
 子供の頃から鍛え上げた肉体と熟練によって見せる体技・曲芸で
中国的サーカスとも言われる雑技には十分堪能させられた。
1000人以上も収容できる専用劇場はほぼ満席、
欧米人の旅行客が最も多く この中国独自の雑技を楽しんでいた。

DSC01489.jpg DSC01491.jpg DSC01493.jpg DSC01497.jpg


 山はすっかり遠くなった昨今、
いつもながら目を大きく見開き、耳をそばだてて歩き、
長男(Meiパパ)にフルアテンドしてもらった4日間であった。

(2018.4.5~4.8 上海を歩く   写真はクリックして拡大してください)















 














 












秩父セツブンソウ
DSC01371.jpg DSC01370.jpg   (写真はクリックして拡大してください)

 エビの尻尾や樹氷、雪女にも出遭うことなく冬が過ぎた。
雪消の水が流れる荒川の支流を遡り、秩父堂上のセツブンソウ自生地へ。

 まだ裸木林の梢を揺らす秩父おろしは 襟元に冷たいが、
枯葉を敷き詰めた傾斜地は日差しに向かって傾き、小さな真っ白の金平糖を
ばら撒いたような風情を見せていた。

DSC01365.jpg

DSC01374.jpg DSC01372.jpg DSC01385.jpg


 ふつう5枚の愕片が6~7枚のもの、8枚以上もある八重咲きのもの、
黄緑色のもの 二輪咲き などなどそれぞれに己の美を慎ましく表現していた。

DSC01380.jpg 黄緑色

DSC01378.jpg DSC01381.jpg 八重咲き

DSC01384.jpg


 「ロリコン」的と妻に揶揄されても 山里のこの小さな花が好きである。
純白のブラウスに黄と紺の刺繍を纏った楚々としたこの小花の凛とした風情に
春を感じる。
その花言葉「気品」と「人間嫌い」に共感。

DSC01372_20180309111331eff.jpg

(2018.3.7 両神山山麓)





不動湯
DSC01334.jpg DSC01338.jpg  (写真はクリックして拡大してください)

 4日前の茨城・袋田の滝近くの月居温泉に引き続き、皮膚疾患に効くという
富士山麓の「不動湯」を訪ねた。
まずはブログ友人キレンゲショウマさんのレポで注目していた富士山世界遺産センターへ。
入館して初めて気付いたが「富士山世界遺産センター」は全く同名称で二つある
ということだった。
私の訪れたのは山梨県(河口湖町)の施設、キレンゲショウマさんのレポは
静岡県(富士宮市)の施設であった。

DSC01335.jpg DSC01331.jpg DSC01336.jpg

 館内では 和紙で創られたシンボルオブジェの下部空間に 富士山の誕生や
信仰の歴史が展開されていたが、自然遺産ではなく文化遺産ゆえの難しさが窺がえた。



 湯治の宿不動湯へ向かう途中、昔懐かしい忍野八海に立ち寄った。60余年ぶり。
かっての原野と野菜畑にまばらな人家が点在、素朴な風情を漂わせていたこの湧水群は
まったく見る影もないコンクリートに埋もれ、大陸からの観光客の溜り場となってしまっていた。
 伏流水のみが昔と変わらない透明度を保っていたが、その底には
無残に光る硬貨が沈んでいた。 とてもとても自然遺産には登録されそうも無い。
三島市内を流れる柿田川湧水群のバイカモを眺めて歩くほうがはるかに癒される。

DSC01344.jpg DSC01343.jpg DSC01345.jpg 忍野八海



 杓子山(1590m)に向かう凍てついた林道の中腹に 目指す「不動湯」があった。

DSC01351.jpg DSC01350.jpg 不動湯

 腐らない不動尊湧水として知られた不動水は 浴用だけでなく飲用効果も著名で
平日でもそれなりの湯治客が訪れていた。

DSC01349.jpg 治療用浴槽

 「月居温泉」と「不動湯」、いずれもこの辺鄙な湯宿では 如何に身体に良いから
と Mei親子に勧めても、なかなかその気にはならないだろうと思った。
「誰かさんのような閑人じゃないのよ」という妻のつぶやきが耳に残る。

(2018.2.9 富士山麓)